卒業式

■卒業式
 昨日の夜から雪が降りしきっており、朝で14cmほどと報道されている。しかし、晴れ間も少しあった。
 今日は朝からあわただしい。こんな天気なものだから、家族の送り迎えが入る。おまけに、卒業式という。家人はシフト勤務にして出席するという。これだけであったら2往復で済むが。卒業式の後にカラオケということで、いったん帰宅後三度送迎する。
 朝食は、何を食べたのか記憶にない。幸い朝食を食べたことは記憶している。昼はインスタントラーメンであった。夕飯にはなんとブリが出た。
 卒業式後に大和(フェリオ)に寄った。目当ては九州フェアであったが、価格が高く失業家庭には手が届かなく、いつものようにデパ地下で調達した。今年は、ブリが不漁である。原因は、海水温の上昇と聞いた。切り身とはいえ、とんかつぐらいの大きさで食べごたえがあった。はやり塩焼きがいい。
 朝方、雪が降っていたが、瞬間的な日差しを狙って呉羽山に向かう。
 野鳥は3羽ほど鳴いていたが、遠かった。ひたすら待つこと40分ほどであったか、ホオジロが一羽木の上に留まった。下からは見えないので、展望台に登って撮影する。
 市内の視界はほとんどない。しかし、午後からは道路の上の積雪は消えてしまった。
 春の淡雪か、最近の天気予報は大げさだなあと感じるのは自分だけだろうか。


■「言葉を離れる」(横尾忠則著、青土社、2015年)を読む。
「君はあまりにも物を知らなさ過ぎる〜」
「自分は勉強や教養のために本を読んだことがない〜」
「学ぶの語源は真似る」
「全て知識で問題を解決したがる人は逆に感覚能力が退化してしまいます。」
「捨てる者がいれば拾う者がいる」
「本当に人と人との出会いが人間の運命を定めてくれる〜」
「言葉はどこか虚しいもの〜」
三島由紀夫豊饒の海は遺書〜」
「〜生き方に何か大きい間違いがあるのではないか〜」
「仏界入り易く、魔界入り難し」(一休和尚)
「座禅〜頭から考えるということが消えていき、ただただ足が痛い、寒い、腹が減った、眠い、という肉体の悲鳴と対峙する毎日です。」
「自分はアホになる修行を一生続けている」
「悟りとは知識や教養を得てカシコイ人間になるのではなく、愚者になること〜」
「事実を事実として見る」
「分別があると事実は見えません。」
「Be here now」・・・今ここに(ブッダ)、常に現在密着していること(ゲーテ)、瞬間を全身で楽しむ(ニーチェ)、今ここに唯生きる(唯識
ピカソはその日の生理や感情に忠実に従っている」
「〜才能のある人間はそういう意味でパクリの名人です。」