自家用車

■自家用車

 家人は自転車で通勤するという。自分も不要である。自家用車はカーポートに鎮座することになった。自家用車を使わなくても、そんなに不自由ではない生活も10年以上経つのだろうか。まあ、いいか悪いかは不毛な議論に過ぎない。当時キーワードは、徒歩通勤であった。なにぶん昔のことで有り、記憶が曖昧であるが、一台に掛かる費用は年間50万円ぐらいではなかったろうか。この時の試算は10年で乗り換えることと故障しないという前提にしていた。10年間で500万円で、多くは税金である。消費税が何パーセントと考えることがバカバカしくなるような額である。

 不安はあったが、マイカーを放棄した。そのころは、人身事故を起こして免許取り消しになっただの、車も買えない給料なのかと思われるので車通勤できないモノは社員ではないだの、地方では車は必需品などとバッシングを受けた。

 もっとも問題がなかった訳ではない。記憶にあることは、ゴルフであった。このときは、正直焦った。しかし、信念は揺るがず、大きなゴルフバッグで駅に行き、最寄りの駅からタクシーで乗り入れた。見ず知らずの方から楽団員と間違われたことも思い出す。お金は掛かったが、そうあることではない。主催者の人が驚いておられた。そして、ちょうど腰を痛めたことも手伝って自家用車が必要なゴルフをやめた。

 リタイア後、好きなゴルフを存分にするため、ハイスペックな車に買い換えたという話も聞くと、良かったねと祝福してあげたい。

 朝食後、草むしりをする。まあ、10分ほどだろうか。毎日短時間でコツコツと行うのがいいようだ。

 今日も予定がない。いいことである。退職後の生活で一番大きな誤算は、何もすることがなく、時間をもて余すようになると考えていたことが、全くの逆で、いかに休みを確保するかに苦労していることである。

 今年も半分過ぎたが、年初からいろいろな関わりを少なくし加入していた団体も相次いで退会した。ここに来て少しゆとりが出来たように感じられる。

 家の中に引きこもっていたら、エアコンやテレビも付けダラダラと1日が終わってしまうので、セカンドオフィス迄歩く。

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 目の前のビルが無ければ・・・・と思ってしまう。このまま、ボーッとして1日が終わってくれればそれでいい。

 自分の隣の席に、自分と似たような年齢で違っているのはお腹周りという男性が座った。目を閉じている。注文はコーヒー一杯である。何もしない。時々、コーヒーをすすり目を閉じる。目を開けているときは、ただ真っ直ぐ前を見ている。まるで座禅をしているかのように座っている。これは、上手が現れたと思い、こっちも負けじと目を閉じて、沸き上がる邪念や雑念と付き合いながら隣人と競り合う。似たようなおっさんが並んで目を閉じている姿は、異様だろうなぁ。

■「モーニングサービス」(三田 完著、新潮社、2012年)を読む。

「朝の日課のウォーキング~」

「~モーニングサービスの仲間~」

「景気が悪いから、暇なひとが増えたのだ。」

「~年金で細々と暮らしていくわ。年齢相応にな」

「いろんなひとが世間にはいる。」