進歩

■進歩

 ブログがリニューアルされた。そのため、未だに慣れていない。機能も向上している。たくさん有る中の一つに、過去の自分のブログの中から関連した記事を選んでくれる機能がある。これを見て驚いたね。2年前と同じタイトルで内容も酷似している。考えている内容が2年前と同じということはどういうことであろうか?

 世の中は進歩しているように見えるけど、自分の頭の中は進歩がないということではないか。いや、世の中で進歩しているのではなく、長い周期で変化しているだけのではないか。その中で自分の考えていることは、ぶれずに保っているだといいたい。

 最近、同じ本を借りることが多い。以前は何度も同じ本を買っていた。これは、趣向が変わらないという事と、読んでしまった本を忘れているということなのだろう。全く記憶力は世の中の変化の如く衰えている。これに関しては、同じ本でも何回も読むことにしている。

 朝、涼しい風に起こされる。急いで朝食を食べたら、吐き気が襲って来た。時間的に余裕がある歳になっても、寿命を縮めると言われている早食いは直らない。自分は極めて普通に食べている積もりなのだが、身体がSOSのサインを出すようになった。これが老化ということなのだろう。

 さて、今日は何処へ行こうかな。その時の気分で行動が決まる。天気がいいので、2kmほど歩こうと家を出たが、交差点にバスが信号待ちしているので、バスにした。涼しく直ぐに着いた。いつものセカンドオフィスに向かう。

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 空いており、お馴染みのスタッフと軽快な音楽が迎えてくれる。ここは、落ち着ける。

 ところが、しばらくして突然めまいがした。椅子に座っているにも関わらず立ちくらみのようになった。しばらく目を閉じていたが、改善しない。ようやくお迎えが来たのか?60代でお迎えが来たら今は留守だと追い返せ!

 新聞のお悔やみ欄は必ず見ているけど、若い方が多いと感じる日がある。自分と同じ60代の方が載っていると、明日は我が身と思う。しかし、これは決して暗いことではない。むしろ死ということに目を背いて生活することの方が人生にマイナスの要素をもたらすと信じている。

 ニュースを見て驚いたね。百歳迄生きるには2,000万円不足するし、将来年金も下がる可能性があるので、自分でなんとかしましょうと当局が発表したという。やっと10年ほど前の自分の考えと同じになったと驚いた。当時、こういうことを考えていると、あんたダラけ、と言われたもんだ。しかし、専門家というかコメンテーターというのか分からないが、対策は自分の考えと大きく異なるのでスイッチを切った。

 健康のため頭や身体を動かしたい人、社会とつながることが人生の喜びである人、何もすることがない人、昔の7割の年齢だと信じて元気な方は、我が国の負債を減らすために死ぬまで働いて納税して欲しい、と言っているように聞こえたのは老化のために耳が遠くなっているからだろうなぁ。

 自分の場合は健康のために山へ登りたい、社会とは無償奉仕ではないボランティア活動で接したい、仕事が有ればやりたい、ただし嫌な仕事はしないことと自分の好きな時に働く、年齢や体力は昔の3割増で老化している、主な原因は車生活や電子機器生活になっており、動物としての機能が年々退化していると感じていることである。自然界で退化した個体が有利に生存するというのは不自然のような気がする。こういう人間は百歳前にサヨウナラだろうなぁ。

■「静かな雨」(宮下奈都著、文藝春秋、2016年)を読む。

「~魂は俺だ~」

「あきらめるのってとても大事なことだと思う」

「あたしたちは自分の知っているものでしか世界をつくれないの。」