いらいら

■いらいら

 毎日暑い日が続いているものの、日増しに身体が慣れてきているように感じる。居間ではエアコンを切っている。今日の予定は草むしりをしながらミョウガを取ることにしていた。採ったミョウガは家人の実家に持っていくという。まあ、暑いが直ぐにシャワーを浴びればいいだろうと考えていた。ところが、家人が実家へ行く日を変更してしまった。これで、今日の予定はなしになった。

 家人を送って行くついでに、新聞と雑誌を資源ごみに出す。あるスーパーへ行けば1円/kgのポイントが付く。混むので開店前に向かう。いつものように、24時間可能ですというエンドレステープが流れている。しかし、時間指定の張り紙があり、おまけに土、日は交換しないとなっているではないか。この時点で持ち帰る人はいないだろう。皆、そのままダストボックスに入れて帰るはずである。スーパー側もうまいことを考えたものだ。30kgほどがあったんだがなあ。

 いつもできていたことが、できないといらいらがつのる。気を取り直して、来週の打合せ場所を確認するため、ナビに住所を打ち込み進む。3kmほどなので10分ほどで着くと考えていたら、案内された場所には無い。だいぶ、うろうろしていた。これも、ナビで案内されるのが当たり前だと考えていたので、いらいらがつのる。建物の名前で検索したら、到着することができた。ナビの案内の場所に近いが、用水で分断されており車が通行できないようになっている。いったん、広い道路に出てからの誘導であった。

 やることが無くなったので、セカンドオフィスへ向かう。パソコンもスマホも使える店である。しかし、Wi-Fiが繋がらない。30分ほど格闘していたが、ダメであった。いらいらは最高潮に達した。こういう気分では何もする気が起きない。

 2日前に漬物を漬けた。といっても、一夜漬けである。漬け樽は味噌が入っていたプラ容器である。きゅうりが安かったので一口大に切って、3%の塩を計り漬け込んだ。重石はその辺の石を洗って袋に入れて用いた。鉄アレイでは大きすぎた。帰ってから確認しようと思う。次は、スイカの皮である。父親が生きていた時に作っていたことを思い出す。スイカは大きいので冷蔵庫には入らない。家人のやり方は、スイカを常温のまま切って、赤い部分だけ1口~2口大の大きさに切って複数のタッパに入れて冷やす方法である。こうすると、非常に食べやすい。そして、皮は冷蔵庫に入れてある。外皮を剥き食べやすい大きさに切って、漬けるのが自分の仕事である。

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 新しいパソコンを携帯しているので、スマホの使用頻度はだいぶ下がった。腕時計が壊れたので時刻を確認するくらいである。そこで腕時計を買わなければならないことを思い出した。時計を売っている店に行くのが面倒なので、今後新聞の通販広告を確認することになる。

■「恨みっこなしの老後」(橋田寿賀子著、新潮社、2018年)を読む。

「~長生きしている人のほとんどは、“まさか自分が”と、驚きと戸惑いをもっているのではないでしょうか。」

「~おもしろいことに、お金に困ったときに限って人生が好転したんです。」

「健康の秘訣。ひとつには、運動があります。」

「庭の手入れで庭師さんに数日来てもらったら、五十万円くらいの出費になる~」

「お金のためだからこそ、人は必死になれる」

「やっぱり人生の決断は自分しかできないのです。」

「信じるものは救われる」

「あせりは、何かに情熱をもっているという証拠でもあるからです。」

「毎日朝起きて、三食食べて、風呂に入って寝る以外、ずっと書いていました。」

「残飯太り」

「老後に必要なのは、好奇心と自由」

「物を捨てるのは体力のいること」

「使わないお金はないの同じ」

「ハッキリ言って、九十歳過ぎた人間が毎日考えることは自分が死ぬこと。“きちんと死ねるかな”、そればっかり。」

「プライドは若さを保つかもしれませんんが、老人の見栄ほど役に立たないものはない。」

「パソコンなど近代的な機器を使わないとやれないような仕事の依頼は受けません。」

「何があるかわからないのが人生です。」