■ミョウガ
今朝も5時ごろに起きて、朝風呂に入る。今日は家人が出勤なので送って行く予定である。このパターンだと送った後に運動公園の歩きになるが、図書館へ行く用事があったので、帰宅後自家用車を置いて徒歩でセカンドオフィスへ向かう。
いつもより遅かったので違った席に座ると、すでに常連さんが座っていた。しばらくすると、一昨日、GO TO キャンペーンで大牧温泉へ行ってきた常連さんが入店され、話を聞く、知らない女性も二人加わった。一番高い部屋という。一人3万五千というが、普通のような感覚で話される。奥さんと二人なので7万円である。2万円の割引があっても大きなお金である。聞いているうちにいつか行って見たい気になった。
実は、近くまでは3回行っている。近くといっても渡し船のところである。自分たちは、真冬に牛岳縦走をするために、ここからタクシーで登山口まで行った。
帰り道で実を付けている樹木を発見した。昔なら図鑑を紐解いて調べたが、わからないのがあっても調べないことにしている。分からないというのは正しくない、一度全部見ているはずである。忘れたというのが正しいであろう。
自分の頭の中には、忘れた植物がいくつか残っている。図鑑を眺めながら、その忘れた植物に出会えれば分かるというゲームである。図鑑は3巻あるので、一つ一つ覚えていると2ケ月以上はかかるので、その間に忘れてしまえば、振出である。この樹は、空港からR41までの街路樹にも成っているので記憶が残っていた。
帰宅後、草むしりをしようと見ると、ミョウガが出ていることが分った。草むしりは中断である。昼は決めてなかったが、このミョウガを使うことにすると何があるかを考えて、ソーメンにした。
ミョウガを採る時は完全武装にしないと蚊にやられる。まだ小さいのでもう少し待とうかとも思ったが、面倒なので小さいのも採った。
しかし、薬味だけにしては多いと考え、数年前に実施した甘酢漬けにも回した。そこで、茹でる。
昼は、ソーメンにみょうがとしょうがを添えた。ソーメンは腰があり文句なく美味しかった。やはりこの時期ソーメンは”ナンバーワン”である。
ミョウガはあと何回か採れると考えている。除草剤などは使ってないので安心して食べることができる。
■「納豆のはなし」(石塚 修著、大修館書店、2016年)を読む。
「~糸を引くかどうかは食品が腐っていることへの大きな判定基準でした。」
「~その食品の効用は、体験という直哲的な人体実験でしか証明できなかったわけです。」
「~まるで定年後に行くあてもなく、毎日、暇を持て余している元サラリーマンのような生涯を送る羽目~」
「“関西には納豆を食べる習慣がない”というステレオタイプの俗信は真実ではない~」
「すべての“ほろび行くもの”と同じように、いつなくなったかどうかも思い出せない~」
「納豆には、麹と大豆から作る浜納豆(大徳寺納豆、塩干納豆)と、納豆菌と大豆から作る糸引き納豆がある~」
「刻苦勉励」
「およそ発酵食品で健康に悪いものはない~」