■庭仕事
京都からの高速バスではあまり眠れなかったようだ。いつもの席が取れず、シートを後ろにあまり倒せなかったのが原因かも知れない。
それでも、5時半過ぎに駅に到着するころは、眠気は吹っ飛んでいた。今日も晴れるようだ。帰宅後、シャワーを浴びて朝食を摂る。家人を送ってから庭仕事へ出かける。暑いといってももう9月中旬である。そよ吹く風は秋の気配一杯である。今回も、ウエアは汗でトロトロになった。1時間ほどたったころに、嘔吐した。これは熱中症の第一段階だろうと判断して午前中で作業を止めることにする。それでもいい汗をかくことができた。剪定済の枝を自宅に持ち帰った後は、温めのシャワーを浴びる。本日二度目である。
さて、昼はどうするか悩む。軽い空腹感がある。昨日は京都で散財したので、今日は外食にしようと出かける。喉が渇き水分補給の目的もあるのでドリンクバーのあるところへ向かう。
家人を迎えに行く途中で公園に入る。
これは、モクレンだろうか、もう冬芽を付けている。
帰宅後、今週の予定を確認すると結構忙しいので、今日はゆっくりと休もうと決める。しかし、休もうとしても休めたことは少ないねえ。
■「街と山のあいだ」(若菜晃子著、KTC中央出版、2017年)を読む。
「いつかまた、地図を開き、あそこへ行こうと思える山があるのは、人生において幸運なことだ。」
「それでもひとつひとつの山にひとつひとつの思い出がある。」
「雲が演技している」
「やっぱり歩いているのは気持ちがいい~」
「~人生に対して、いろいろな練習をしているのではないかと思うことがある。」
「毎日登山」
「本当の山好きのおじさんは違う。静かで、人がいないところを、てくてくと自分のペースで黙って歩いて、心の中で、ここはきれいだなあとか、いいところだなあなんて思っている。」
「人生の中で日常的に山があるのは、本当に幸いなことだと思う。」
「還暦の前のあたりから、言いたいことを言わなきゃ~」
「山の人はそれほど山で亡くなる。」
「人生はやはりすばらしい。人生に山があってよかった。」