ブラック企業名の公表

■「たまかな暮し」(常盤新平著、白水社、2012年)を読む。
 俳句が沢山登場する。自分も主人公のように「歳時記」を持って山に出かける。もちろん自分で購入した。図書館の本では水に濡れると弁償させられる。歳時記の中には昔からの習慣がある。子孫へ伝えていかなければと思うが知らないことが多い。新しいことがいいということはない、古いものも大切にしていかなければならない。
「歳時記を読んでいると、いままで気のつかなかった自然の四季が十七文字の中に見えてくる。」
「たまかとはつつましいということだ。」
「〜ワープロや携帯電話を使おうとしない。」
「駅で人を待つ時、歳時記は欠かせない。」
誤植「秋刀魚の体調が30cm」→「秋刀魚の体長が30cm」
「携帯電話を手にした若者たちも嫌いである。」
「その日その日を無事に過ごしている。ただし、日々の生活は切り詰めて貧しくはあるが。」
「結婚生活で料理とか食べ物とかはどれだけ大切だろう。悠三の父が母と離婚した原因の一つに料理があったのは確かな事だ。」

ブラック企業名の公表
 あるブログからの引用である。
「先日、自民党が「ブラック企業名の公表」の参院選公約化を目指すと発表し、話題になっている。巷では「ブラック企業の判断基準や線引きはどうするのか」とか「公表する前に摘発しろ」といった意見もあり、実現は容易ではないだろう。
「社名公表」が難しい理由として、「離職率」や「長時間労働」というくくりだけではブラック企業と認定するのが難しいから、という指摘がある。確かにその通りだ。
たとえば飲食業界の離職率は高いが、だからといってすべての会社をブラック扱いするのはお門違いだ。経験を積んで独立するため、あえて厳しい環境を志向している人だっている。公務員や大企業の正社員のように、組織に骨をうずめる姿だけを基準に論じていても意味がない。
残業代を支払う気がまったくない会社があり、違法投棄や偽装表示が常態化している会社がある。卑劣な手口で顧客を騙す会社があり、そんな行為を社員に強いる会社がある。理不尽な暴言や暴力で社員を追い詰め、死に追いやるところだって実在する。私は直接被害者から話を聴き、そんな会社を目の当たりにしてきた。
労基法なんて守ってたら、会社は潰れてしまう」などと公然と言い放つ経営者がいるが、そんな人間は経営から身を引くべきだ。法律を守ろうという気持ちが全くなく開き直りを決め込む会社は、社会が存続を許すべきではない。
そもそも労基署の存在意義自体が「訴え出た労働者本人の利益を守る」という役割を担っていない、という実態もある。わが国の労働行政は、高度経済成長の実現と正社員の雇用維持と引き換えに、あまりに長い間違法状態を放置し続けてきたのだ。
この国は他人を騙して蹴落とす事を正義と見なす国になってしまったのでしょうか?
入社してビックリ。残業代は全くでず、労災隠し、休日は建前上115日あるが、実際は60日程度。代休は取らせない。有給は申請すればクレームが付く。人によっては盆も正月も仕事で、当然代休は無し。意見を言おうものなら古参連中から大ヒンシュク。常に創業一族の顔色を伺っている連中ばかり。若い人はすぐに辞める。」
 私の以前に勤めていた石川県玉川町の会社は、上の通りでブラックでした。一生許すわけにはいきませんね。