名月

■名月
◎名月やポンポンポンと20回  禅智
 自宅から職場まで交差点が4つある。信号待ちは束の間の休息になる。ところが、今日は信号待ちが無かった(ようだ)。ようだ、というのは止まった記憶がないためだ。休息できなかったことよりも、針の糸を通すほど難しいタイミングが経験できたことで疲れが吹っ飛ぶ。
 夜の月は東の空に大きく出ている。中秋の名月というやつだ。目が悪いのでいくつもの月が重なりあいながら大きく膨らんで見える。眼鏡を外すともっと悲惨な状態である。
 この時期の月を呼んだ名句は多いだろうが、ひねくれ者としてはつい茶化したくなる。
 花札でポンの20というのがある、山の上に満月がデザインされている図柄だ。
花札を教えてくれたのは、亡き父親であった。もう半世紀以上が過ぎ去った。
 富山情報が来ており、ページをめくっていると、ラーメン特集をやっていた。500円になるクーポンを使い週末に食べに行こう。
 氷見にもオススメラーメン屋があると教えてもらった。

■「それからのエリス」(六草いちか著、講談社、2013年)を読む。
 大作であり労作である。森鴎外には若い頃から感心があった。民間人でありながら膨大な著作を残したことと、ドイツにゆかりが深かったのがその理由である。本書にもいたるところにドイツ語が溢れていたが、懐かしかった。まだ、読むことぐらいはできる。時間ができたら再びドイツ語を学ぶ予定にしている。子供もドイツ語検定のことを聞いてきたことがあるので、東京で一緒に受験する約束になっている。自分は登山と抱き合わせになろう。著者のようにゲーテインスティチュートで学べば最高なんだけど、地方では無理である。
エリスが結婚していたところから、読み飛ばしになってしまい。著者には申し訳なかったが、その執念は十分伝わった。

 そろそろ、本を読むのも飽きてきた。読書しない秋である。