俳句の日

■俳句の日
◎目を閉じて頬が覚えた秋の風   禅智 
 今日8月19日は俳句の日である。偶には明るいのが詠めんのかと自分ながらなさけなくなる。
 朝から気持ちのいい風が吹きっぱなしの日である。思わず目を閉じてしまう。
瞼の裏には、あの山、この山の稜線歩きの風を描いている。
 こんなことを書くと、肩書が泣くぞ!と言われるのを覚悟して書くと、昨年はこの世の春夏秋冬を誇っていた「セイダカアワダチソウ」は今年は見えないのはなぜだろうか?
 誰か教えてくれるだろうか?ネットで検索すれば正解が得られるだろうか?

 コガマが愛らしい。

 電線にスズメではない鳴き声の鳥がいる。コンパクトデジカメなのでよく分からないがセグロセキレイのようだ。

 今日は、ハトが居なかった。カラスの2羽ほど見ただけだ。
 アオサギがまたいつものビルの上に居る。


■「法然親鸞・一遍」(梅原 猛著、PHP、2012年)を読む。
「死の教師」
「人を救うことが、自分が救われる道だということです。」
「人生というのは、布施行そのものだ」
「煩悩の中に悟りが隠れている」「煩悩を離れては悟りもない」
「人の供養に頼るという最低限の生活をしながら、媚もへつらいもしない。決して他人に依存してはいないのです。」
「捨聖」
「をのづから相あふ時もわかれても ひとりはいつもひとりなりけり」(一遍)
「人類は文明を、狩猟採取文明にまでさかのぼって考察する必要があります。」