生誕ん年

■生誕ん年
◎秋の朝一雨ごとに静かなり  禅智
 朝起きて外を見ると雨であった。今日も傘かと思い、身づくろいをして出かける時刻になると止んでいた。
 しかし、予報が雨なので傘を持ってでる。どこかの庭先の朝顔に水滴が沢山付いている。何かに取りつかれるように撮った。

 今日はカラスの日なのか、電線で、屋根の上で、まるで番をしているように留まっている。ムクドリが相変わらず群れている。
 赤江川には濁った川であったが2羽のカルガモが泳いでいる。後ろの羽が白くなっているのを発見した。

 休耕田には、野草の成長が早い。雨の影響だろうかと思う。ヤマハハコの仲間か、ヨツバヒヨドリの仲間か分からない草が勢いづいていた。帰ってから図鑑で調べる。

 図鑑は、○○目□□科という分類である。自分のような初心者では、分類などしらないものだから、600ページもある図鑑を一枚一枚めくって写真と照らし合わせる。そのうちに、パソコンの画面が消える。また、付ける。また、消える。を繰り返し、結局見過ごしたのか、出ていないのかと迷宮入りを繰り返す。
 今日は誕生日である。別にめでたくはなく、また一歩死に近づいたか、ぐらいの心境である。毎年、何も起こらないので今年もそうだろうと考えていたら、職場の若い女性たちから祝福受けた。少し嬉しいね。
 かつて自分の誕生日を教えるのに、「苦しんで死ね」と言っていた時期があった。
 病院でも駐車場でも忌み嫌われる9と4の数字である。今思い返しても、その通りの人生であったようだ。しかし、同じ日の人がいたので、これは封印している。
 最近、下流老人という言葉をマスコミが作ったらしい。自分のことか!と腹立たしい。