ドクダミ茶

ドクダミ
 家人が関東方面に出かけているので、朝いちばんにやることは、洗濯であった。
 朝食後は、実家の庭にもらって来た樹木を植えた。その時に、ドクダミがきれいに咲いているのを知った。

 そこで、ドクダミ茶を作ることにした。作り方はネットで調べた。
 しかし、この時メールが不通になっていることが判明する。これは、その次だ!
 まず、ドクダミの地上部分をハサミで切る。調べた資料ではそのまま干となっていたが、いやしくも口に入るものである。これを、一つ一つ丁寧に洗い。変色した部分などは切り取った。これは、しんどかったね。
 そして、稲の天日干しのように束ねて紐で縛る。

 陰干しということであったので、駐車場の一角に紐で干場を作り下げた。

 これが乾いたら、細かく切って煎じるのであるが、金属製の容器では駄目らしい。このためだけにホウロウ鍋をかうのももったいないので、釜飯の容器を使えないか検討中である。
 メールは丸一日不通になっていた。さっそく電話したら、遠隔操作にて対応してくれた。自分のパソコンのマウスが勝手に動くのを見ると、世の中進んだものだと思わざるを得ない。
 昼からは、調理である。冷蔵庫にあった食材で肉野菜炒めを2食分作る。しょうゆとミリンで味付けしたが、しょうゆを入れ過ぎて、不味い出来上がりになった。

■「モーロクのすすめ」(坪内捻典著、岩波書店、2015年)を読む。
「いつまでも未熟になれる可能性を含んだものになってこそ、ひとは成熟したといえるのではないだろうか」(鷲田清一
「中年には中年の、老年には老年の価値があり、それは「若い」ではない。」
「この二、三カ月は朝ってないな」
「春風駘蕩(たいとう)」「春風がのどかに吹くさま。転じて、性格・態度がのんびりしているさま」(広辞苑
「生身魂(いきみたま)」「お盆の間の祖父母や父母、仲人親、勤め先の年長者など」
「何かにいつまでも、あるいは一生かかわることを美徳と思いがちだが、むしろしなやかに変身をすることこそが美徳かも。」
「ジューンドロップ」「なんらかの都合で、果樹がまだ青い実を落とす現象〜」
「俳句は風景をなぞるものではない。眼前にはない風景を新しく作り出すのである。」
「〜言葉も時々、普通でない使い方などをして、言葉そのものを活性化させなくてはいけない」「シクロフスキーはその活性化を異化と呼んだ。」
「老人六歌仙
  皺(しわ)がよる黒子(ほくろ)が出来る背は縮む頭ははげる毛は白くなる
  手は震う足はよろめく歯はぬける耳は聞こえず目は疎くなる
  身に添うは頭巾襟巻杖眼鏡たんぽ温石尿瓶孫の手
  聞きたがる死にともながる淋しがる心は曲がる浴深くなる
  くどくなる気短くなる愚痴になる出しゃばりたがる世話焼きたがる
  またしても同じ話に子を褒める達者自慢に人は嫌がる」
「〜詩とは日常をちょっとはみ出した、あるいは日常から少しずれた言葉である。」
「この度を越して入れ込む対象は、立派でないものがよい。」
「晩年の父の趣味はパチンコだった。」
「言うまでもないが、ほんとうに老人には時間がない。」
「〜何もしない日は私自身を異化する日なのである。」
「あたたかくて心が癒される感じ、それを「ほっこり」と言う。」
「有能な男たちはちょこまか派らしい。」
「簡素にして、つつましい。」
「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする」(萩原朔太郎(さくたろう))