■走馬灯83
ぜんちの人生は幸せでした。
■「老年という海をゆく」(大井 玄著、みすず書房、2018年)を読む。(その2)
「~本人に苦痛がないことを最大の治療目標とする。」
「医師はその愛する病気により死ぬというジンクスどおり、彼もまた食堂がんになった。」
「~筋力だけは終生強化できるという。」
「~その末期に、親しい人が枕辺を訪れる“お迎え現象”が報告している。」
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
「ルーツなしには生き残ることはできない。」
「そもそも地球温暖化は存在しない」
「~個人破産の最大の原因が医療費を払えないからだった。」
「しかし、嘘をくり返し主張するならば、嘘は真実になる。」
「人間の賢さなんて、たかが知れている」
「~マグロに含まれるセレンがメチル水銀の毒性を緩和する~」
「触らぬ医療が進行しているように見える。」
「老年を歩む難しさのひとつは、いままで出来ていたことがもはや出来ない現実を納得できないことである。」
「“つらい”とは、歳をとることが自立する生活に必要な知力、体力を失うプロセスであるからだ。」
「鷺のようによく見えることを“明”、フクロウのようによく聞こえることを“聡”ろいう。」
「心を腹において吸う息、吐く息を楽しむ。」
「老耄とは、文字通り老いて耄碌することである。」
「耄碌し、体力を失い、生きる力が衰えても、周囲の生かしてくれる条件がよければ、力の続くかぎり、不安なく生きることは可能に見えた。」
「100年もつようには、自然は作っていない。」
「つまり加齢こそが、認知能力の低下をもたらす、決定的な要因である~」
「~いったん自立できなくなるならば、すみやかに死ぬのがふつうである。」
「認知の能力は衰え、健康は失われた。しかし、老耄は、幸せと感じることを妨げない。」