縁石・敷石

■縁石・敷石
 昨日は先生より明日は腰が悪くなる人が出るので、コルセットを持っている人は身に付けてくるようにと指示があった。自分は腰が悪いしコルセットも持っているのだが、なめてかかっていた。
 四ツ目垣は、見た目が基準であったが、今日の実習はミリ単位で合わせなければならない。このギャップに大いに戸惑う。
 まず、水糸であるが、昨日初めて触った。まず、輪を作るが「普通に結んでください」と言われ、から結びをしたが、引っ張っていると外れてしまう。ここで、数分ロスする。ギブアップして聞いたら、二重にして一回結びでいいとのこと。
 地面はデコボコなので、レベルで測定している場所を基準にして、水糸を張る。この場合は、『ぼよよ〜ん』と音がでるまで引っ張らなければならない。
 そして、まず縁石の設置である。高さの規格もありなかなかややこしい。上に水平器をおいて、まず高さを水糸と同じ高さに決める。次に左右の位置や偏りを修正する。一つが重いのでなかなか重労働である。中腰ではきつい。左を合わせれば右が合わず右を合わせれば下が合わず、下を合わせれば上が合わずの繰り返しで、ようやく合わせたら高さが水糸ラインを越えている。最初からやり直しである。汗をかきかきやっと終わったら、隣のグループより前後が逆と言われる。また、最初からやり直しである。一つが終わったら、もう一つずらして設置する。同様に設置したら、最初の縁石と高さが違う。またまたまた、最初からやり直しである。
 次に、敷石である。これも寸法が決まている。人間が歩く場所である。独立した一個の敷石と2つ並んだ敷石がある。同様に水糸を引っ張って設置する。二つの敷石は隙間があってはいけない。途中、出来ても出来なくてもいいから時間までやってくださいと指示があり、もう限界であった。めちゃくちゃな仕上がりで終えた。周りから「なにやっとんがよ!」という無言の言葉が分かる。
 続いて、自然石である。20個の中からどの石のどの面が合うかを調べながら5個並べるのである。ちょうど、ジグソーパズルをやっているようだ。当然、ただ並べるのではない。自然な曲線を描き、リズミカルに並べるのである。できたグループから宣言し、全員が集まって先生の講評を聞きながら学ぶ方式である。皆が自分の周りに並ぶことはなかった。
 試験で約1時間の作業を6時間かけて行ったが、全滅であった。なめたらあかんぜよ! 試験ではやり直しの時間は考慮されてないようだ。
 帰りの下足箱でふらついてしまった。だいぶ堪えたね。これが毎日か!!
 やらないで後悔するよりやってから後悔する方がいいという格言があるが、これは当てはまらない。

■「根源へ」(執行草船(しぎょうそうしゅう)著、講談社、2013年)を読む。(その2)
「私とは一個の他者なのだ」(ランボー
「死は、生きることの目的である」(三島由紀夫
「戦後教育によって、日本の文学は必ず滅びる」(三島由紀夫
「自己を卑下する者に、生命の雄叫びである芸術など生み出せるわけがありません。」
「運命を愛するとは、宿命を受け入れることを言うのです。」
自死とは、自己の生き方と信念に基づく、理性と熟慮から滴る意思決定による死のことです。弱さからくる単なる逃避としての自殺とは根本的に違います。」
三島由紀夫は、ボディビルで自分の体を鍛えていました。〜横紋筋を支配する体性運動神経系が鍛えられていないと、切腹した時に気を失ってしまい、絶対に最後まで切れないということを深く知っていました。」
「押しつけられた憲法を、独立回復後も後生大事に守っている国は歴史上存在しません。」
「戦うことができない人間や国家は、利益を諦めるしかありません。」
「ノブレス・オブリージェという言葉を最近よく耳にします。上流階級の人の義務と理解している人が多いようですが、ノブレス・オブリージェに上流も何もありません。国の危機に際して自分の命を捧げることをノブレス・オブリージェというのです。」
「民族の精神こそが真の個性である」(ヘーゲル