資料作り

■資料作り
 天気予報は西高東低の冬型と報じている。こういう日は総会に発表する資料作りに徹する。問題は足のしびれである。しかし、午前中は晴れ間が出ているので、ちょっと近くまで息抜きをする。
 キジである。

 背中の飾りが見えたのでチュウサギかと思ったが、風になびいているだけかもしれない。まだ、チュウサギダイサギの区別が付けられないなあ。

 資料作りは20%ほど進んだが、ある樹の写真が必要になったので、探しに行こうとするが、雪がひどく断念した。どこにでもあるのだが、探しているとない。
 氷見にお住まいの鳥のお仲間さんが、ブログを立ち上げられた。下に紹介させてただく。リンク先にも登録した。
 148才の事始め   http://shizshiz6.exblog.jp/

■「新・作庭記」(丸山健二著、文藝春秋、2009年)を読む。(その1)
「一体全体きみたちに庭の何がわかっているというのかね。そもそも植物をどう思っているのかね。無意識のうちに動物より一段も二段も低いところに位置付けているのではないのかね。」
「どうにかして脱出を図らなければ人間扱いされない地獄の暮らしを定年まで強いられ、職場から放り出されるときにはもはや人間の抜け殻になってしまっていて、自立の精神どころか魂そのもまで失っているかもしれないという危機感が強まった。」
「〜私の体内に流れているのは、あり余る樹木や草花、多様な野生動物、劇的な変容を見せてくれる美しい四季がもたらしてくれる、大自然にどっぷりと浸るときに感じる無上の喜びだった。」
「私が求めてやまない感動は、常に自然のなかにしか見出すことができなかった。」
「書斎に閉じこもって思索に耽ることが大の苦手である私としては、屋外における、肉体を前面に押し出した、汗まみれの暮らしこそが充溢の源だった。収入に結びつかない自然の中での遊びのあれこれに多忙だったのだ。」
「自分自身で作らないかぎりは、どれだけ人材と資金を投入しようが、造形美の向こうへ突き抜ける庭には絶対になり得ない。」
「それが何であれ、岩石であれ、鉱物であれ、無機物に興味を示すようになったら、その人生は老若を問わず終焉に近づいているという〜」