遊び着

■遊び着
 今朝というか深夜からといった方がいいのか、3時半ごろから発表資料作りを行う。やはり、静かな環境でははかどる。朝玄関のドアを開けてびっくり、一面雪世界であった。平野部でも5cmほど積もっているので、山沿いは20cmほどもあろうか。これでは、トレースは消えている可能性が高い。
 今日は車を使わないと家人に告げ、朝食後外出する。ある樹の写真を撮るべくあちこち歩き回る。そのかいがあって、2か所で見つかった。これで、準備は終わった。
 しかし、準備が終わった時点で全てが終わったような錯覚が芽生えてしまい、今日はこれで終えることにする。
 午後からは、洋服とズボンを買いに出かけることにした。来月から病院への支払いがなくなるので、いままで着た切り雀で我慢していたが、新調することにした。
 年老いてくると清潔な身なりを維持しておかないと出会った方への礼儀を逸する。現役時代には、もっと無頓着でホームレスと間違われると言われたことも思い出した。せめて、腹でも引っ込んでおればまだましなのだろうが・・・・・・・・。
 まず、通称”光沢クロメート”と呼んでいる店に入った。狙いは、遊びに出かけることが多くなるので、ポリエステルで伸縮自在なアウトドア系のズボンを探していたが、気に入ったのがなかった。やはりスポーツ量販店かと向かったがその途中で、リニューアルオープンしている店があったので、何気なく入ったらまあまあのがあった。予算的にはオーバーであったが、たまにはいいだろう。
 今朝の朝刊に文学賞の応募が載っていた。今年は気合が入っているぞ!と切り取ってピンで刺した。まあ、真の目的はボケ防止なんだが。

■「新・作庭記」(丸山健二著、文藝春秋、2009年)を読む。(その2)
「前向きで、真っ当な生者が接する庭には、安らぎの背景にときめきが秘められていなくてはならない。」
「プロの庭師たちが寄ってたかって丹念に剪定した、かなり年季の入ったマツを目の当たりにしても、それが生きている植物と感じられないのはどうしてだろう。」
「ほとんど迷いのない、思いついたらすぐにやってしまうという激しい気性こそが、創作者の基本中の基本ではないかと信じて疑わなかった。」
「〜正反対の緊張感に包まれることによって、精神のバランスを保ち、肉体の充実を図り、この世を間違いなく生きているおのれをより鮮明に自覚できるのであった。」
カイガラムシを一匹たりとも寄せ付けない木は、どれも風通しのいい場所に植えられているということが分かった。」
「庭作りとは、人間の身勝手な都合しか考えない、ゆえに不自然極まりない、残酷な行為である。そのことをのべつ念頭に入れておく必要がある。」
「誰かの力を借りるようでは趣味とは言えなかった。」
「庭造りに必要なのは、情熱に匹敵するくらいの諦念の強さである〜」
「老後に向かってゆく者にはちょうどいい趣味だと思った。愚かだった。無知だった。」
「ウソという名の本当の鳥は〜匂い桜の蕾を全滅させる。」