半俵川緑地公園

■半俵川緑地公園
 天気予報は雨であり、実際は晴れたり降ったりの天気であった。曇りの時間を利用してどこかを歩こうと車で向かうと雨になる。これは、駄目だといったん帰宅して寝そべっていると、晴れ間がでるので、もう一度出かけると、現地に着いてしばらくして降られる。3度目はなかった。
 新たな野鳥スポットを開拓しようと画策していた。川があり、緑地公園があり、人があまり来ない場所はいいのではと兼ねてから目星を付けていた、半俵川緑地公園に向かった。途中、電柱にチョウゲンボウらしい鳥が止まっていたので、撮る。

 しかし、チョウゲンボウにしては大きいなと確認したらしっかりトビであった。
 公園に到着したが、用水にはカルガモ2羽、ヒヨドリ、ドバト、カラス、スズメが沢山啼いていた。近くには常願寺川もあるので、もっと珍しい鳥を期待していたが、甘かった。ツグミが来てくれたので、これで満足しよう。

■「新・作庭記」(丸山健二著、文藝春秋、2009年)を読む。(その3)
「豊かさの意味をはき違えたのは、知識人や文化人にしても例外ではない。〜文化や芸術を経済的な尺度で計り、そこから得る高収入に魅了され、おごった暮らしを維持することにのみに魂までが奪われてしまったのだ。」
「本物は、その世界を突き抜ける。」
「きょうを生きる、そしてあしたも生きてゆくという未来につながる実感をもたらしてくれる庭こそが本物の庭であり、庭の神髄なのだ。」
「ただ生きているだけできらきらしていた若い頃を懐かしくふり返るばかりの、過去に生きるしか術のない老年期が、いかに惨めったらしいかに気づいてしまったとき、その人生はすでに終わっている。」
「〜植物に対する造詣が浅く、いいとこ取りの根性が直らず、地道な努力を忌み嫌い、現実を直視する勇気もないような者にとっては、庭作りほど不向きな趣味はないであろう。」
「〜大きな感動を得るには、大きな努力が欠かせないのだ。」
「植物から学ぶべき最大の哲学は、何よりもまず時間の恐ろしさであろう。」
「文明と繁栄に甘やかされた現代人は、〜便利な環境と入り組んだ価値観によって、本来の野性味を失い〜併せて生きる意義を見失ってしまった。そのことの不幸にさえ気が付いていないというありさまだ。」