ヒレンジャクの木

ヒレンジャクの木
 今日こそは何もしないで部屋にこもろうと決心していたが、天気がいいので決意後1時間ほどで破ってしまった。家人が出勤だったので送って行った帰り、ふと先日出会えたヒレンジャクがどの木に止まっていたか確認したくなった。家人の職場から10分ほどで行けることも手伝った。

 これは何の木だろう。気になる木である。葉を見てみるとヤナギの仲間のようである。このヤナギ科というのは種類が多いので悩ましい。図鑑と格闘したが、もう少し葉が伸びて来たら同定を試みようと思う。
 ついでに、公園内を回る。
 ウグイスのような鳥が飛んで向こう側に止まったが、例によって自分の視力ではいる場所が分からない。こういう場合、あてずっぽうで数枚シャッターを切るのである。なんか、1枚にボケボケで映っているが、種類までは特定できない。

 何か変わった鳥が見える。ひょっとしたら新しい出会いかと期待した。
 カシラダカのオスのようだ。今まではメスしか撮っていなかったようだ。(図鑑登録)

 帰り際、ウグイスの鳴き声が近いので路上駐車してねばる。啼きながら飛んでいくので追いかける。枝に止まったのが確認できたのでカメラを準備したが、1秒も止まっておらず藪の中で、勝ち誇ったようにホ〜ホケキョ!まあ、目で見れたのでいいか。
 その周りに、チドリっぽいのがいる。山の中なんだけどなあ。この種類も似たのが多く、なかなか同定できない。目の周りの黄色が強いのが特徴である。あっちかな、こっちかなと図鑑と格闘して、コチドリと断定した。(図鑑登録)

 帰宅後、自宅で昼食をとり昼寝をしていた。すると携帯電話がなり、前の職場の人の名前が表示されている。H井さんは、2つ年上で定年で退職された後は接点はない。電話の用件は市議会議員選挙のお願いであった。
 自分はまだ決めていないが、はっきりしていることは政務活動費のことを争点にしている候補者には投票しない。また、政務活動費を使っていない候補者にも投票しない。あれはシステムの問題であろう。まあ、不正は良くないが、多額の身銭を切って市政の考えてくれた人に入れたい。100万円不正しても、100万円以上の貢献をしてくれた人ならいいのではないか。世の中、そんなに潔癖ではないし、そんなことは分かっている。
 夕飯の一品にピザが加わった。8日、9日、10日は半額になるという。もうこれでお腹一杯である。

■「おひとりさまの最期」(上野千鶴子著、朝日新聞出版、2015年)を読む。
「体力も記憶力も低下し、順調に加齢しつつあります。」
「結婚していようがいまいが、だれでも最後はひとり」
「死に場所難民」
「ひとり、だからさみしい、という短絡は、そろそろやめにしてもらいたいものです。」
「超高齢社会の死は、ゆっくり死。予期できる死〜」
「死に目に立ち会うだけが、人を看取ることではりません。」
「選べない介護は強制労働です。」
「穏やかであるべき死〜」
「選べるならがん死〜死が予期でき、身体の活動水準が末期まで維持でき、ぎりぎりまで意識が清明で、昏睡状態になってから短期間ですむ〜」
「〜日本の不景気は国内市場の規模の縮小によるもの〜」
「あそこへ行くと殺される」
「同居家族がいるからこそ、施設や病院に送りこまれます。」
「ほぼ在宅、ときどき病院」
「病院はキュア(治療)の場、在宅はケア(看護・介護)の場。」
「〜在宅では、医療職の想定を超えた奇跡がいくつも起きているようです。」
「〜いまどき親に仕送りしている子どもはめったにいません〜」
「頼むから、じいちゃん、ばあちゃん、家から出て行ってくれんか」
「親より先に死なないのが子のつとめ」
「死にゆくひとは、周囲にやさしいですし、気が弱くなっています。」
認知症になることは残念なことですが、けっして不幸なことではありません」
「生きるに値しない生命」
「誰かの支えになろうとする人こそ、一番、支えを必要としています」
「死の受容の過程は、否認→怒り→取引→抑鬱→受容の段階をたどる」(キューブラ=ロス)