ブロック肉

■ブロック肉
 今日は金曜日でスーパーの冷凍食品6割引の日であった。朝、家人を職場に送り届けた後、向かう。今日の狙いは米であった。先月は、米屋さんで買っており、精米したてなのか評判は良かった。しかし、玄米で10kgなので精米したら少し減ってしまう。
 ブロック肉が半額だったので800gほど買って来た。
 二番目が今週いっぱい帰省しているので、何かと振り回されている。昼食は昔よく行っていたイタリアレストランを希望していたが駐車場がないので一人で行かせる。
自分は、ブロック肉を焼くことにした。ブロックで買えば応用が効き使い勝手がよかろうと考えていたが、甘かった。スライスするにしてもなかなか薄く切れない。結局、10枚ほど切って焼いて食べた。ステーキ用のソースは必需品になった。
 エアコンの部屋で昼寝後家人を迎える前のジョギングに向かおうとしたら携帯メールが届く。2番目からで美術館が休みなので迎えに来いということであった。方向転換して環水公園に向かう。しかし、いない。電話で確認すると話が食い違う。もう閉鎖した近代美術館に行ったことが分かったので、牛丼屋さん前で待ち合わせる。
 そのうえ、富山市体育館にタニタが行っている喫茶店があり、家人が研修の下見で確認してきたところ良かったというので、再び、北口に戻る。おかげで、運動は出来なくなった。(ブクブク)

■「良寛に生きて死す」(中野孝次著、考古堂書店、2016年)を読む。(その2)
「彼はつねに死を意識し、運命がもたらすものは逆らわずに受け取ろうと、覚悟をそのつど新たにしたのだろう。」
「人におこりうることはすべて自分にも来るのだと心得、平常からそれに対し心を定めておくべきだ〜」
「〜死は常にある、明日はない、ということのためにも、今を大事にしなければならないと。」
「暮らしは低く、思いは高く」
「われわれの人生は瑣末なことによって無駄に費やされている。単純化せよ、単純化せよ」(ソロー)
「何もしないということは上等な状態である〜」
老子荘子も自然の中に身を任せて無為に、何もなさずに同化するというのを最高だと言った〜」
「形見とて何残すらむ春は花 夏ほととぎす秋は紅葉ば」(良寛、辞世の句)
「すべてを捨てて心が空にかれば、そこにおのずから神が入って来ている」
「すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時がある」
「〜初めはそんな医療的拷問など受ける気もせず、家にいて自然に死んでいこうと思っていた。」
「自分だけは災厄に遭わず、他の人より安全な道を歩いているかのように思いこみ、他人が運命の打撃を受けるのを見ても、それが人間の定めであって、いつ自分に襲いかかるかもしれぬものだとは思わない。」
「〜利益だけが価値のあるものとされる時代を生きてきたため、事の正邪と善悪をまず考える心が養われず、恥の意識すら消滅してしまった〜」