コーヒーショップ

■コーヒーショップ
 このところ、定年2年生になって少しは要領をつかんだようだ。現役時代に思い描いていた生活に近づいている。
 朝、家人を送った後にコーヒーショップに向かう。ここは、古くから学生の街だったわけではなく、かずかずの青春を知っているはずもない。実は、これまでTコーヒーを贔屓にしていた。定価320円でマイカップとプリペイドカードで280円になる。しかし、Sコーヒーは定価が280円である。マイカップで20円引きなので試すと、280円という。外税が20円である。お代わりはTコーヒーが150円で同じ店のだけに対してSコーヒーはどこでも108円である。
 マイカップの場合は、9割ほど入れてくれる。しかし、Sコーヒーでは95%ほど入れてくれたので、こぼさないようにそ〜っと席に着く。一人用の応接室のソファのような椅子がいい。
 コーヒーショップはコーヒーが好きなわけではなく、避暑と静かな雰囲気を求めているのである。部屋では寝てしまうことが多い。
 3時間は気持ちよく過ごす事ができた。そして、昼食後昼寝である。
 家人を迎えに行く2時間前に出発し、今日もジョギングをこなす。タップリ1時間ほどで玉の汗がでる。風も良く吹いてくれて、汗もすぐに乾いた。
 造園屋さんが手入れされている光景をよく見る様になったが、自分にできるかね?

■「良寛に生きて死す」(中野孝次著、考古堂書店、2016年)を読む。(その1)
良寛は一生、所有を捨てに捨てて、この無一物の生をこそわが生と定めた人なのだ。」
「どこにも属さず、何物でもなく、何も持たず、ただ一個の人間であること〜」
「〜人は所有と快適・安楽ばかりを求めていては、本当の心の充実を得ることはできない〜」
「〜物なぞいくら持っても幸福にならないことを、あの高度経済成長とその破裂の体験を通して、身をもって知ったからだ。」
「しかし災難の逢時節には 災難に逢がよく候
 死ぬ時節には 死ぬがよく候
 是ハこれ 災難をのがるる妙法にて候」
「人は欲望が起こるたびにすぐ充たされる生活では人間になることができない。」
「身をゼロに置かねばプラスの幸福はない〜」
「この一日が全生涯なのである。」
「求めることの最も少ない者が、困窮することの最も少ない人間である。」(セネカ
「足ることを知っている者はすべてを持っているのだ。欲深く多くを求める者は、どんなに多くのものを得ても、まだまだ足りないと思うのである。」(ジレジウス)
「ことばの多き。口のはやき。さしで口。手がら話を戒めた〜」
「クリテーリウム(Kriterium)〜それに触れることによってものの真偽を見定めるもの」
「〜今やわれわれは過去の日本人が知らなかったほどのゆたかで便利で快適な生活を送っていると言っていい。が、〜実は考えられぬくらい多くのものを失ったのであった。」
「物を所有することは、物に心が所有されるということ〜」
「自然の声を聴くことができるのは、〜何物にも拘束されぬ時以外にない。」