カレー

■カレー

 カレーが大鍋で作られているので数日残る。今日は朝はカレーライスにする。外は雨かなと思ったが、家人を送って行くと晴れていたので、少し歩く。買い物をして帰宅ししばらくなご成ってから昼食である。

 公園では花が咲いていた。桔梗に似ているが・・・・。

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 カレーはまだ残っている。手打ちうどんももう一食残っている。この流れでいくとカレーうどんになる。昨日と同じでは芸がないので、うどんはまじめに伸ばして切る。

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 やればできるのである。これを茹でている間でてんぷらを揚げる。ちょっと多かったので大半は夕飯のおかずになる。かぼちゃが美味しかった。

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 午後から、フォレストの方が見えられ準備作業を行う。汗びっしょりになった。

 家人を迎えにいっても規定数に達しなかったので、夕方近所を歩く。

■「生きながらえる術」(鷲田清一著、講談社、2019年)を読む。

「~生存の委縮~」

「歩くときも、音楽に合わせリズミカルにステップを踏む。」

「そして知らないうちに、手が“器用”を失ってくる。」

「わざと便利にしないでおくという知恵。」

「便利すぎるというものは難儀なものだ。」

「体をアホにしない。」

「~“社会”の底が抜けはじめたという思い~」

「~国家や市場が提供するシステムにひたすらぶらさがるようになったわたしたちの暮らしのありようを根本から問い質すことは、この列島に生きるすべての者が迫られている課題だ~」

「日本では“無名の人が偉いのだ”」

「世界がだんだん閉じてきたのだ。」

「人生を盗まれないようにすること~」

「“賄い”とは、“限られた範囲内の人手・費用などで、用を達する”こと~」

「横請け」

「自らが自らに命令することのできる尊さ」

「高度消費社会~じぶんという存在の“委縮”~」

「“作る”という、生業の基本ともいうべき能力を損なってしまった。」

「~“食べないと死ぬ”時代から“食べると死ぬ”時代への移りゆきだ。」

「“プリコラージュ”とは、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作ること。」

「アートは、経済や福祉やその他の社会的サービスのすべてに共通する概念だ~」

「品位というのは自然にこそあり~」

「哲学をばかにすることこそ真に哲学することである」

「読書は技術である」

「読書というのは~じぶんが打ち砕かれる経験である。」

「集中と放心は一つなのだ。」

「夢を見る人間には、心に大きな傷を持っている人が多い」

「将来、赤ん坊になるために、勉強しなければならない」

「孤立しても引き下がらずみずからの信ずるところを述べる」

「わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか。」

「ファーストフード~自分が食べたいものだけ入手し、一人でこそこそ食べている~ヒトはいまやサルに退化しつつあるとしか思えない~」

「死は、生を無意味にすることによって生に意味を与えます。死は生に意味を与える無意味なのです」

「死を意識した人はすべてが輝いて見え、道端の雑草にさえいのちの愛おしさを感じるようになる」

「遺された者にとって、死は辛く悲しい。しかし、悲しみのなかでこそ、人の心は耕されるのだ。」

「話してくれなきゃわからないような奴が、聞いたからといってなにがわかるというのだ。」

「~途切れることのない熱心な“浅さ”はなんだろう。」

「~きちんとした黙りあい~」

「~他人の話を最後まで聴く、他人の言葉を引用しない。」

「“変わる”ということはそれまでのじぶんが崩れることから始まるしかないのだ。」