■無題
今日は晴れるようだ。気温は低かったが、朝一でセカンドオフィスへ向かう。長靴ではなく靴で歩く。ところどころ氷結していた。
セカンドオフィスに付いて、スマホのニュースをながめていると軽4のキャンピングカーの映像があり最後まで見てしまった。当然音声もあるのでイヤホンも付ける。値段は分からなかったが、かなり高そうだ。もう夢物語でこんなことは絶対ないのであるが、余裕のお金が出来たら軽4キャンパーを作ろうと考えていた。だいぶ前だが真剣に検討したものだ。最初は、中古で改造し自信が付けば新車かなあ。記憶では断念した理由の一つにサブバッテリーがあったと思う。なんせ電気系統は苦手である。この映像では100Vの平行コンセントが8個ほどあった。夢に終わってしまった。老いるとは、ひとつづつ諦めることであろう。
常連さんとの話は、相撲の話が面白かった。2回物言いがついた取り組みで1回目は同体ではないので取り直しは必要ないという話であった。しかし、審判は絶対である。
帰りも遠回りして歩いたので、午前中で1万歩に達してしまった。
昼は、中途半端になっている蕎麦を作る。
今回は、キツネ・天ぷら・チャーシュー蕎麦にするつもりである。最初に、油揚げを茹でる。
天ぷらはインスタント用でチャーシューはブロックを切り取り、フライパンで炙った。まだまだであるが、賄いとすれば我慢の範囲である。
そして、除雪指令が出ていた。屋根の雪でアプローチが山になっている。氷のような雪塊を4回に分けて上に上げる。疲れてクタクタである。疲れた時は甘い物がいいらしい。
テーブルの上に和菓子が数多くある。これは、家人が昼トレーニング中にロストショップに寄って買ってくるのである。定価は150円~200円ほどであろうが、賞味期限が今日明日なので、数十円になる。前回は、袋詰め放題300円ということであり、30個ほど入っていた。しかし、あまりたくさんあってもねえ。
ニュースで知ったのであるが、共通テストを鼻出しマスクで受験できなかった40代の人がいたそうだ。可哀想である。別室などの対応は取れなかったのだろうか。年1回なのに気の毒である。
■「60歳からの新・幸福論」(多数、宝島社、2018年)を読む。(その2)
「死の間際まで死ぬことを考えない」
「命は重いが、死は重く考えない」
「老後のお金を投資で増やそうとする人はバカです!」
「節約に勝る貯めワザなし!」
「少しでも遅く年金をもらうことは、リスクのない立派な資産運用なんです。」
「検診がなければ、日本のがんの発見数は半分くらいになると推察されます。」
「~肺がん検診~実は、早期発見した人のほうが多く亡くなることがわかっています。」
「がん手術によってがんが暴れだす」
「いずれ亡くなるのだから、その前にできるだけカネを使ってくれ~」
「死ぬならがんがいい」
「~なぜ日本人はここまで延命にこだわるようになったのでしょうか。~その原因は、今の日本人に死生観が欠如しているからにほかなりません。」
「~人間は遺伝子にも寿命が組み込まれている。」
「だから病気を叩くだけでなく、むしろ筋肉を衰えさせないことのほうが、これからは大事かもしれない。」
「お年寄りがリスペクトされるのは、ほんとうに大事なんだ。」
「~太っているというのは、短命のリスクもいいとこだよ。」
「~健康寿命を延ばすには、やっぱり頭を使うことだろうな」
「~検診なんか受けたことがない。」
「死期が近い人は、一日一日が盤石の重みを持っている」
「~認知症には現在の薬は効果がないことが明らかになってきている。」
「実は人間の脳には、血液中の老廃物や毒性物質が脳組織に到達しないようにブロックをする機能があります。この血液脳関門という機能のため、どんな薬の成分も脳に到達することが制限されるのです。」
「~“血液脳関門”のハードルをクリヤできる革新的な治療法~“超音波”~」