初夏

■初夏

 昨日は久しぶりに山歩きしたためのマウンテンハイの影響なのか、帰宅後の昼寝の影響なのか、日付が変わっても寝付かれなかった。こういう時は無理に眠ろうとはせず、テレビのドラマを見ることにした。テレビドラマなど何年ぶりだろうか。なかなか面白かった。そして、睡魔が来てくれたので眠りについた。

 朝、家人の食事の準備の音に起こされる。しかし、眠気は取れず、ひとりで通勤してもらう。窓が開けてあったので、いい風が入って来る。今日も予定がない。ありがたいことだ。もうあくせくする必要がないというのは、心にゆとりが生まれる。温泉へでも行きたかったが、歩けば4時間ほど掛かるので、銭湯にしようかと迷って、自宅でシャワーを浴びる。朝シャンである。火照った身体を爽やかな風が包み込み行動不能に陥る。

 なんだかんだとしていると昼を過ぎている。カーテン越しに見る外の雰囲気はまぶしい光に満ちあふれている。動いてないので腹は空いていなかった。しかし、長年の生活習慣が昼食を勧めている。

 おもむろに起き上がって身支度をして出掛ける。日傘が必要なくらいの日射しで、そろそろ日焼け止めが必要だと考えながら、日陰を選んで歩く。歩き初めは西町のパン屋さんでランチと考えていたが、あまりの暑さに汗が出そうになり途中で左折しファミレスに変更する。もう季節は初夏である。

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 もう13時を過ぎているので空いていると考えたが、ドアを開けたら満席に近い。名前を書いて待たなければならないと覚悟していると、希望を聞かれた。禁煙コンセント付きと言ったらかろうじて空いていた4人掛けのテーブルを案内されたので、断り、二人席にしコンセントは隣のテーブルから取ることにした。こうすると、隣席の人は電源ケーブルを跨がなければならない。

 しかし、1時間も過ぎるといつもの平日の込み具合になる。再び席の移動を勧められ快諾する。全て高齢者である。前の席に元気なおばあさん軍団がいる。まあ、耳が遠いのであろうか、元気なのか話し声が大きいのは、修行と思って我慢の範囲であるが、アハハハハ~の3部合唱だけは勘弁してもらいたい。オバタリアン健在なり。

■「絶命名言」(頭木弘樹著、飛鳥新社、2018年)を読む。

「生きることは、たえずわき道にそれていくことだ」(カフカ

「平等だと思っていること自体が間違いで。」

「~深くまで沈んでしまったら、やっぱりゆっくり上がる必要がある~」

「あわてず、あせらず、あきらめず」

「苦労は人を成長させる面もありますけど、人をダメにしたり歪めたりする面もあります。」

「~病気のような大きな挫折を経験すれば、気づかなかったことに気づくようになるわけです。」

「病気による死でも、他殺。」

「そういう命綱的なものが、ひとつには読書であり~」

「辛い体験をしていいことなんて、本当はごくわずかでね。」

「絶望することができない者は、生きるに値しない。」(ゲーテ

「陽気さと真っ直ぐな心があれは、最終的にはうまくいく。」(ゲーテ

「光の強いところでは、影も濃い。」(ゲーテ

「悲しい時には悲しい曲を。絶望した時には絶望読書を」

「小さいことを積み重ねていくのが、やっぱり人生なんで。」

「本当に弱いからこそ、他の人には気づけないことに気づける~」

「ささやかなことを愛する人間は、ささやかなことにも苦しめられなければならない~」

「人生は地獄よりも地獄的である」(芥川)

「曖昧さは、人間にとって非常に苦しいものである」

「人間、最後になると自分のことしか考えないものだ。」(芥川)

「あとで大変なことになるとわかっているのに、目の前のしたいことをしてしまう人、そんな人がいるのか~」

「不幸は、ひとりではやってこない。群れをなしてやってくる。」(シェークスピア

「‘’どん底まで落ちた‘’と言えるうちは、まだ本当にどん底ではない。」(シェークスピア

「人生を恐れないから、いい加減に生きてしまう~」

「明けない夜もある。」(シェークスピア

「時間の経過だけでは人は癒されるとは限らない」

「明日、また明日、そしてまた明日、一日一日を、とぼとぼと歩んで行き、ついには人生の最後の瞬間にたどり着く。」(シェークスピア