無題

■無題

 昨日民放のテレビ番組を見たら懐かしい番組が流れていた。誕生日に写真を次から次へと出し、生まれて来てありがとうとか誕生日おめでとうとかを流している。自分の子供は三人ともこれに出した。前と違うのは、応募数が多いのか時間が長くなったように感じることと、子供の下の名前が読めない。まあ、これは今に始まったことではない。そうして、たまに、40歳代とか60歳代とかが出るのである。これが爆笑ものであったが、10歳が最高齢であった。自分も試しに、64歳で出して見ようかと思う。コメントは、生まれて来てすいませんになろうか。

 朝は5時ごろ目が覚めて、6時に部屋の片づけを行い、朝シャンであった。そして、セカンドオフィスへ向かう。7時前である。雨が小降りであったが、強くなる時もありバスにした。そこから、店に入ろうとしたが、いつもの席が埋まっているので、アーケード内を往復してから入店する。エアコンの真下は寒くてとても居れない。しばらくするといつもの端の席が空いたので移動する。Y.O.さんは今日は早かったね。最近、毎回会っているような気がするのだが、会社は夏季休暇に入ったようだ。

 そうして、常連さんが入店されたが、別の常連さんと話が弾んでいた。自分は、今日も座って眠っていた。コーヒーを残して出る。外は小雨である。これなら、大丈夫だろうと歩き出すと突然雨脚が強くなる。そこで、アーケード内を往復して歩数を稼ぎバスで帰ろうとすると止んでいた。しかし、油断は出来ないので西の空を確認すると、明るかったので降らないと判断し徒歩で帰路に着く。

 今日のような日は、ラーメンに限ると食材を購入して帰宅する。なんか久しぶりに作るようだ。作り終わってコーンを入れ忘れたことに気が付いた。まあ、いいか。

f:id:zen_chi:20200813194819j:plain

 今回も肉一パック、野菜一袋の豪華版になった。

 昼寝をしてからフォレストリーダーの準備作業を行う。玉の汗が出た。

■「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。」(フミコフミオ著、KADOKAWA、2019年)を読む。

「“きっつ!”“しんど!”と口にすることによって、それらの主成分である怨念やムカつきといったネガティブな気持ちがカラダから排出されて心も体も軽くなったのだ。」

「諦めれば平和が到来する」

「本来、空気は読むものではなく吸うものだ。」

「これからは退職申出や内定辞退に代表されるような、心身に負荷がかかる行為は第三者に委託代行する世の中になっていくだろう。」

「~あらゆる行為に直接的、即効的な効果や結果を求めすぎているように思える。」

「風見鶏とは鶏のカタチをした風向計で、風に向かって雄々しくて立つ、というポジティブな意味がある。」

「~問題のある人物を反面教師にしようとするのは間違っている。」

「しんどい境遇や状況に陥ったらまずは逃げよう。」

「何事からでも得ようとするスタンスがなければ何も得られないのだ。」

「実際に相手を妬んで揚げ足をとっても、下がるのはご自分の側である。」

「関心を持つ力には限界がある。」

「サイコーな人生の陰には、バタ足の努力があるはずなのである。」

「過剰なサービスは提供してはならない。」

「恥の多い人生であった。」

「コロッと死ぬために、健康でピンピンでなければならないという思想。」

「消費税が上げっても、それなりにやっていくしかない。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍びだ。」

「個人的な問題に対して意見を求め、相談を持ちかける人たちは、他人の意見や考えを求めているわけではなく、ただ、味方や支持者が欲しいだけなのだ。」

「人生に負けないようにしよう。勝利を目指すから敗北がある。逆に言えば、勝ちを目指さなければ絶対に負けない。」

「人生は終生の敵である。」