雑感

■雑感
 今日は家人や休みなので送り迎えの必要はない。ということで車もない。早めに朝食を済まそうと降りていく。冷蔵庫に納豆が7個もある。家族も好きなので買い置きしてあるようだ。しかし、多すぎる。日付を確認すると既に賞味期限を過ぎているのが1個、今日の日付が3個ある。ということは、これは自分の納豆になるという意味である。
 徒歩5分ほどのコーヒーショップまで車で送ってもらう。5分ほどかかる。雨は降っていなかったが、天気が悪い。窓際に座ってコーヒーをすすりながら本を読んでいると、ガラス越しに同級生が歩いているのが見えた。先方も分かったようで手を振られた。幼馴染であだ名は「なりたん」である。平日に歩いていることから、定年後は再就職などしないで一度しかない人生のゴールデン期間を思う存分過ごしていると思うが、何か元気が無いように見えた。
 その後、スーパーへ行く。かぶらずしの材料の確認である。かぶはあるので、塩サバと甘酒である。やはり季節柄たくさん置いてあった。第2段があるかどうかは今週中に判断することになる。
 まんじゅうを売っている。地元では有名な店である。それが半額ぐらいで売っている。しかし、但し書きがあり、底の皮がめくれたり、印字がずれたりした製品という。こんなことで商品にならないのかと一袋3個入りを買った。
 今の目標は昼寝をしないことにある。そこで、帰宅後、歩くことにした。先日テレビで太った女性8名がトレーニングして合計100kg痩せる番組を眺めていたが、自分の関心はそのトレーニング方法である。手軽な方法として、段差を使って踏台昇降を繰り返すのがいいと思った。しかし、つ、つ、つまらん。やはり、傘を差して外を歩くべきだろう。
 その前に環水公園に向かった。ABWである。アフタヌーン・バード・ウオッチングである。しかし、着いたとたんに雨が降り出し、歩けない。カモ類も常連さんしかいなかった。
 夕方帰宅後、自宅の周りを歩く。約2kmである。少し速足にしたので、家に着くころはうっすらと汗が出ている。そこで、湯船にお湯を張り窓を開けて露天風呂の雰囲気に浸る。なんとか昼寝をせずに済んだ。

■「田舎暮らしと哲学」(木原武一著、新潮社、2017年)を読む。(その2)
「誰しも、自分に理解できることしか耳にはいらないものだ。」(ゲーテ
「ものごとを知るということは、要するに、その名前を知ることにほかならず〜」(カント)
「世界がどのように見えるかは、見る人の知識しだいである。」
「散歩の途中で出会う全ての花をひとつひとつ名ざしで呼べるようになりたい」
「他人本位の行動の行き着くところは、自らを他人の奴隷にすることにほかならない。」
年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」(劉廷芝
「今年の花は去年の好きに似たり 去年の人は今年に到りて老ゆ」(シンジン)
「ウバユリという名は、葉(歯)のないことを姥に結びつけた命名〜」
「〜縦横無尽、東奔西走、南舟北馬のごとくかけまわり〜」
ヒヨドリはとくに赤い色のものを好むようで〜」
「仕事こそ、人生を楽しむ最善の方法である」(カント)
「〜有機農法では、ネットとピンセットが必需品である。」
ハコベ生えるまで、肥はこべ」
「ひとりの人間に可能なことは万人に可能である」
「哲学、法学、医学、それに神学まで研究しつくしたが、このとおり愚かな私だ。〜そこでわかったのは、何も知ることができないということだ」(ゲーテ
「たのしみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度くうめし」