分岐点

■分岐点

 天気予報では雨が降らないようだ。今日も予定がない。ありがたいことだ。朝一にゴミ出し指令を発し家人が出勤する。昔、退職後は時間をもて余すので、‘’今日用‘’と‘’今日行‘’が必要だと書いてある本を読んだ。しかし、これは自分には当てはまらず、ひたすら休みを確保しているのが、実情である。

 冷たくなった朝食を温めて済ます。昨日、フォレストリーダー活動費用の確認の封書が届いたので、捺印して封をする。内容は十分に確認せずめくら判に等しい。4月~6月までは、体調が悪くほとんど活動してないためである。

 返信封書を持って家を出る。行き先は決まっていない。外は曇り空で時折吹く風が心地いい。散歩日和である。交差点に到着した。曲がるか直進かで行き先は絞られる。少し汗ばんで来たので、近くのセカンドオフィスに決めた。

又、分岐点である。曲がるか直進かで迷う。振り返れば自分の人生は分岐点の連続であった。その都度、幼稚な知恵で判断して決めて来た。結果、まっとうな人生ではなかったようだ。これからも分岐点はあると思うが、感性で判断して行くだろう。片道2kmを汗が出ないように歩く。歩きながら、平均的な健康寿命まで7年しかなくなったとか、手遅れ感が強いが、それでも出来ることはあるはずとか、堂々巡りをしていると店に到着した。

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 幸いにエアコンの冷気が直接来ない隅の席を確保できた。とはいうものの、汗ばんだ身体には寒過ぎる。それでも、1時間もすると慣れて来た。

 つい先頃までスマホでゲームをやっている人を見て、なんともったいない時間の使い方をしているんだ、と憐れんでいた。しかし、本を読むのに疲れると 関係のないことをしたくなる。それで、ゲームをダウンロードした。まあ、あまり面白いものでもないが、一時の頭休めにもなるなら安いものだ。

 しかし、終わり方が分からない。そのうちに、ライフがありません、買って下さいと時刻のカウントダウンが表示される。ゼロまで待って、アンインストールした。慣れないモノには手を出すべきではない。

 もう3時間が経った。疲れたがコーヒーが半分以上残っているし、腹も空いてきた。昼はどうするか?ここで食べるのもありであるが、家にご飯があることを思い出す。麻婆豆腐でも作ろうと先ずは落着する。市販のソースと豆腐なら200円程だろう。サラダを付けたら500円程だろうか。スープも付ければ700円程だろうか。なんか外食の方が経済的だなぁ。

 混んできたのでコーヒーを残して店を出る。昼食はマーボ豆腐の辛口にしたら汗がぼたぼた、ごはんはスプーン2杯ほどにした。少し庭木を剪定し昼寝を決め込む。

■「森ではたらく」(古川大輔・山崎亮編著、学芸出版社、2014年)を読む。

「大きくならなくてもいいから、長く回り続ける輪をつくって行きたい。」

「~季節ごとに自然の恵みを頂く山の暮らしは、豊かだ。」

「~自然・森の中でなにも考えずボーっとすることは、本当に気持ちのリセットになることを日々実感している。」

「森に入ると身体によい効果があるらしい」

「~森林インストラクターと一緒に調査した~」

「~自然には到底敵わない。そんな感性が養える。~細く長く生きるべきだ。」