無題

■無題

 6時、今朝も自然に目覚める。家人は休みで子供が帰る日である。起こさないように静かに身支度する。今日は特に予定はないのでいつもの日常の繰り返しである。今日も暑そうだと外へでてみたら、それほどでもない。まずは、薬を服用するために朝食をとらなければならないので、2km先のセカンドオフィスに向かう。

 衣食住のうちで、衣には結構お金がかかる。昨日はサンダルとポロシャツを購入した。瞬く間に諭吉さんが消えていってしまった。次の年金振込は10月である。まだ、あるなあ!

我が悪しきへそ出しルックを改善すべく、Lサイズで間に合う服をLLサイズにしなければお腹は隠れないないなあと考えていた。2Lはなかったのであった。しかし、熟慮の結果、ズボンをへそ下まで上げれば大丈夫ということが分かった。幸い、ズボンはゴムなので自由である。しかし、ここで困ったことは2つ発生した。一つは、少し力むとズボンのホックが取れるのである。力むというか、座っただけでボツゥ!、深呼吸してもボツゥ!、肘を付いてもボツゥ!と四六時中ホックを締めていなければならない。二つ目は、ズボンを上げても、お腹の曲線に沿って下がってしまうことである。ホックが取れないと安心していると知らない間に腰まで下がってしまい、へそ出しルックになっている。

 歩き始めたころは、徒歩で向かうつもりでいた。しかし、太陽がギラギラでバスにしようと交番の角を曲がったら、バスがパーキングアンプを点滅させて止まっているではないか。100mほどなので走れば20秒ほどである。しかし、止めた。別に急いでいないのである。30m手前でバスは出発した。時刻表を見ると5分後に次のバスがくることが分かった。日陰で待つ。しかし、いっこうに来ないので、今日は土曜日で休日ダイヤであることが分かる。20分ほど待つことになる。この時間なら歩いていれば既に着いていることになる。今回はバスに決めたのでじっと待つ。停留所には、3つ先のバス停を発車したら順次ランプが点くことになっている。ランプが点くまでリュックを降ろそうとした途端に一つ前の停留所を出発したことを知らせるランプが点く。慌ててリュックを担ぎ直す。

 いつもの店は休日なので空いていた。店員さんがこの時刻なら1名のことが多いが、今日は3名配置されている。

 モーニングサービスを食べ、薬を服用してから、昼食の心配をする。確か、家人達は宇奈月にある美術館へ行くようなことを話していた。ということは、昼はないと考えなければならない。子供が帰る時は、新幹線で2時間以内なので夕方の可能性がある。ここ数日贅沢をしているので、今日は軽く外食をしようと決める。たまには、カレーもいいかな。いやラーメンも久しぶりだ。しかし、駅前まで歩かなければならない。というか、歩けばいいだけなんだけど。

 結局ラーメンにする。バス停だと一つ前なので、徒歩で向かうことにする。しかし、お盆休みという張り紙がされてあった。仕方がないので、スーパーで食材を買って自宅で作って食べる。コーンが切れていたのが残念であった。

 今日は最高の暑さではないだろうか。痛いくらいである。本日2回目の打ち水をするが、焼け石に水とはこういうことを言うのだろうということが分かるほどであった。少し昼寝をしようとしたが、エアコンが強すぎて寒いくらいで何となくテレビを見ていた。弱くすればいいのだろうが、面倒だなあ。予定では草むしりをするつもりであったが、スマホに運動注意報が表示されているのでやめた。このままでは、ぐうたら生活に陥ってしまうという危機感が生まれたので、気温が最高に達している時に、近くのセカンドオフィスに逃避する。

■「なにものにもこだわらない」(森 博嗣著、PHP、2019年)を読む。

「すべてがケースバイケース」

「本当に偉い年寄りは、年寄りの自覚があって、自身にバイアスをかけて自重することができる~」

「できるかぎり、売り出されている楽しさを買わないこと。」

「“生きる”とは、基本的に面倒くさいことなのである~」

「おそらく、もっとも安上がりで、しかも内容の濃い体験が、この読書というチャレンジだろう~」

「数年前から、仕事は一日に一時間しかしていない。」

「病気になったときに、高価な治療は受けないことに決めている。命にそんな価値があるとは考えていない。」

「新しい内科の先生の診立てでは、“良性突発性目眩だろう”といわれている。」

「どうして、死を棚上げできるのか、人間の精神構造がどうなっているのか~」

「~大学という場所は自殺が多い。」

「生きているうちに学び、考え、そして自分で楽しむ。」

「ぼんやりと目指す」

「人は無能になるまで出世する」