ランチバイキング

■ランチバイキング

 台風が近づいている。ここも強風域に入っている。朝方は大雨であった。天気予報では午後から雨は上がるという。それでも高温注意報が発令されている。高温多湿の熱帯地方にいるような気分である。

 今日は、家人が早出である。車の中でランチ券を渡される。60歳以上のシニア券2枚と一般券一枚である。3人でランチに行く予定であったが、子供が明日帰ることが分かり、有効期限があるので、二人で行って欲しいということであった。家人を送った足で、林業カレッジに向かう。来週の講座の準備である。その後は、帰宅して休む。

 昼になったので子供と二人もらった券でランチに向かう。一流のホテルのランチバイキングであった。最近、バイキングを避けていたが、券を無駄にする訳にはいかないので、喜んで使うことにする。昔なら、一皿300円相当で、値段で割って食べたものだ。2000円の場合は、7皿分になる。しかし、その後、だんだんと身体が受け付けなくなり一皿500円相当に変わり、最近では、美味しい物を少しだけ食べるようになった。しかし、ホテルの料理は全て美味しいので、厳密に選んで2皿だけにした。もうこれで十分満足である。一応、全ての料理を食べるのが暗黙の了解であったが、今回は食べない料理が多く出た。

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 目玉は、ウナギであった。バイキングであったが、ウナギは別格で一人2切れの交換券での対応であった。自分は、トングの幅で取ったので3切れになってしまったが、戻すわけにも行かずそのままスルー。握り寿司やステーキなどもあり、十分堪能できた。デザートの白桃のジュレはあまり味わったことのない味であり2つ食べたね。ソフトクリームやチョコレートタワーもあったが、受け付けなかった。

 窓際のテラスのような場所が確保でき、つかの間の贅沢を味わうことが出来た。

 さて、もう一枚シニア券があるが、たぶん自分が行くことになろう。

 腕時計を買わなければならず文具店に見に行ったら、やはりソーラー電波時計は1万以上している。前にも使っていたが、ベルトの方が早くにダメになってしまい。ソーラーが無駄になってしまうことがあった。今の生活で5分や10分は誤差である。やはりその時の生活スタイルに応じて対応するのがいいと思うので、高い時計は要らない。スマホなどの代用手段も沢山ある。登山時計は3万円以上するので買わないことにした。そこで、無駄を承知で登山店で壊れたと言われている時計を自分で電池交換することにした。電気屋さんでボタン電池を選んでいたが無い。取り寄せになった。200円ほどである。これくらいなら、無駄になってもいいか。

 午後から軽いめまいがする。しかし、部屋に閉じこもってしまえば、寝てしまうので気を振り絞りセカンドオフィスに向かう。ここで、家人を迎えに行くまでの時間調整を行う。

■「なにものにもこだわらない」(森 博嗣著、PHP、2019年)を読む。

「絶対に安全なものはない。できるかぎり悲観的に物事を見る、危険側に予測する~という姿勢が結局は安全率を高める。」

「考えるとは、頭脳を運動させることであり、体力を消耗する行為である。」

「シンギュラリティとは、“特異点”という意味だ。~AIがAI自身を生み出すようなことが起こる。」

「新たな発想は、なにものにも縛られない自由さ、あるいは軽さから、羽ばたく如く生み出されるものではないだろうか。」

「~現在はロスタイムであり、もういつ死んでも良いと思っているし~」

「死ぬときに、“ああ、生きられて楽しかった”と思えれば、それで充分だろう。」

「仕事のやり甲斐なんてものは、単なる幻想である」