居場所

■居場所

 今日も家人が休みなので朝から自由行動である。ついに恐れていたことが起こってしまった。マックドが今日から店内飲食禁止にしたのである。そうなると、自分は困るのである。

 しかも公園で過ごそうにも車では入れない。まあ、今日は車は使えないのでどうでもいいが。帰省している子供はオンライン授業とかで家に居るなと言っている。そうすると、この年寄りはどこへ行けばいいのだろうか。

 天気が良かったので、シャットアウトされている公園まで徒歩で向かう。

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 途中街中を歩いていたが、よく言えば正月休み並み、悪く言えばゴーストタウンである。公園はガラガラであった。数人しかいない。ここでベンチに腰掛けてうたたねをしたようだ。

 居場所がない。しいて言えば、路上である。これも路上生活者になるのかな。今日も何人かランニングをしていた。一日中徘徊のように歩き回ってもいいが、疲れるね。テレビでは今日から本格的なゴールデンウィークと言っていたが、今日は何の日か忘れてしまっている。昭和の日であった。最初は肉の日だと思っていた。もう昭和はいいんではないか。大正の日や明治の日はいつなのか知らない。

 この時期混雑している場所があった。書店である。こっちも本を読みたいが図書館は休館だし、新刊本では読みたい本がないし、スマホでは疲れるだけだし・・・。

 そろそろテレビ番組が変わると思っているがその兆候はないね。赤字決算続出でスポンサーなどやってられないだろう。まだ、倒産の報道は少ない。もっとも1千万未満は集計されないので零細事業者は見えないことになる。

 学校で9月入学を検討するようであるが、これ以上混乱させないで欲しいと思う。変えることは進歩、進化、改善だと考えている方が多いのではないか。慎重に対応して欲しい。浅はかな改善は別なことの改悪になることも経験している。もちろん変えてもいいが、10年ぐらいかけて変えてもらいたいと老人は思っているのである。

■「そういうふうにできている」(さくらももこ著、新潮社、1995年)を読む。

「ホルモンとアレルギーにだけは今のところ全く勝ち目がない。」

「~創作が“仕事”となってしまった今の自分は少し不幸なのかもしれない。」

「オナラが、正常に内臓が機能しているかどうかの目安~」

「生きている状態は、もともと不安定なものなのだ。」