いろいろ

■いろいろ

 最近の報道や記事や現実を眺めていると、閉店した店が増えている。もうあのラーメンは食べることができないのかと少し残念でもある。そんなことを考えていると、知人のTさんから、開店サービスの店へランチへいかないかとお誘いを受けた。チラシが入ったというが、自分は新聞の購読は止めたので知らなかった。

 12時半に迎えに来ていただいて、店へ行く。なんと行列が出来ている。しかし、2名は店内に入ることができた。行列は持ち帰りのお客様だった。4種類どれでも500円均一なので、それぞれ好みを頼む。

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 自分はここで失敗してしまった。味の好みでメニューを選んだので、丼ということに気が付かなかった。知人のTさんは無難に定食であった。

 やはり専門店の味付けは違うね。タレガ命ということだろうか。

 少し時間があるので、通常ならコーヒーショップでダベリングということであるが、知人のTさんはカルガモの親子を見たいという。新聞かニュースで報道していたようだ。カルガモなら環水公園だろうと、野鳥観察小屋へ来てもらった。

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 しかし、何もいない。これは当てが外れたのであった。失敗失敗の連続であった。

 前回のバラ園の交通費としてマックドのコーヒーでいいと言っておられたが、今回の外れの分も合わせて、スタバに招待した。ここでゆっくりくつろぐ。

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 もう少し時間があるので、丘陵地を散策した。玉の汗が噴き出した。

 知人のTさんには感謝している。前の職場を早期退職してから、時間だけが有り余るという無彩色の老後を想像していたが、知人のTさんから、声を掛けてもらい、大人の遠足、親父登山、ランチなどをお誘いいただき、きらびやかな老後になった。なお、毎年実施している親父登山は、今年は実施されないようだ。

■「はっとりさんちの狩猟な毎日」(服部小雪著、河出書房新社、2019年)を読む。

「母親がたまにうきうきすることほど、家庭平和に有効なものはない。」

「社会で一定の評価を得ることが一つの到達点であることは間違いなかった。」

「~利用され消費される。」

「リスクを避ける人はつまらない人間で~」

「私たちは確かに、もうすでにこの世にいない人たちと、何かでつながり、何かを共有している。」

「人生一回切りと考える~」

「純粋な人間ほど、傍から見ると屈折した生き方を選ぶようだ。」

「なにかを為すためには、別のなにかを犠牲にしなくてはならない。」

「登山に修行的な側面などない」

「~一般に常識とされることには、経済成長のために摺り込まれた価値観や、集団がお互いを監視するネジ曲がった自警思想が含まれている。」

「空気は酸素と窒素と挨拶でできている」

「歯の健康は体の健康に直接つながっている」

「父親がなにかに挑戦して敗れて死んだとしても、父無し子は不幸だというのは誰がきめたのだろう。」

「~“山は逃げない”とか“撤退する勇気が必要”などという。ウソである。」