扇風機

■扇風機

 今日も朝風呂に入る。最近毎日の日課になった。天気予報は午後から雨という。朝一番に考えることは、歩き計画である。天気予報を信じるなら、午前中にかなり歩数を稼いでおいた方がいいと考え、家人を送り届けた後に総合運動公園を歩く。

 駐車場からトラックに入るところで、おばちゃんが合流する。少し待って入るが、ピンクの短パンに白い水玉である。速度は同じくらいである。追い抜きたいが自制する。ジーパンの若いお嬢さんや大股のおじいさんに抜かれたが、目に前には水玉がいる。ちょうど1kmで抜いた。一周2.1kmなので2周はした方がいい。1週目はウォーミングアップであるが、2週目はクールダウンになる。本番がないのである。高齢者はこの程度にしておかないと体を痛めると考えている。しかし、クールダウンの途中で、先ほどの水玉おばちゃんに抜かれる。まあいい。2周目でやめる。

 この後、昼飯の準備である。スーパーへ行ったが、とうふだけ買う。今日は、あんかけ焼きそばと冷やっこに決めていた。ナスを買ってあったが、なかなか使い切れないのであんかけに使うことにした。

 帰宅後、生しょうがを擦り下ろす。そうして、焼きそばを焼く。一袋15円であった。いったん焼きそばを皿に開けてから餡を作る。今日も、ラーメンの時に使った野菜の半分の残りに中華野菜とナスを入れる。

f:id:zen_chi:20200721175042j:plain

 今回もグーであった。焼きそばは揚げると脂分を取り過ぎるので鮮度がいい場合は、焼くのがいいようだ。ソースも塩麴もいいが、やはりあんかけは絶品になった。

 夕方まで雨は降らないので、講座の準備を少し行う。

 暑くなったので少し前から扇風機を出してきた。足元に置いているが風が来ない。やはり安いのはダメである。50cmぐらいしか風が来なく、そのまま広がるので風が来ない。扇風機を掛けながら団扇で仰がなかればならない。安いモノには理由がある。

 そこで、壊れているのを出してきた。埃にまみれているので掃除機で綺麗にしたが、部品がない。危ないがそのままかけると風がくるので、このまま使うことにした。

■「今を生きるための仏教100話」(植木雅俊著、平凡社、2019年)を読む。

「自分が納得したことでなければ、他者を納得させることはできない。」

「常識とは世間一般が承知している知識」

「良識とは各人がどこまでも自分自身で行う判断」

「理性は飛躍をゆるさない。」

「やり直したおかげで、ずっといいものができました。」

「日本には、分からないことが有り難いことだとする変な思想があります。」

「思いついた時、樹が付いた時、その時が常にスタートです」

「~インドでは教養のある文化人たちはみんな北枕で寝ています。」

「“ブッダ”は固有名詞ではなく、“目覚めた人”を意味する。」

「仏教が目指したことは、“真の自己”の覚知による一切の迷妄、苦からの解放であった。」

「“むつかしい”ということと“わからない”ということとは同じでない。」

「人間としてのあるべき理法と“真の自己”に目覚めることが成仏であり~」

「仏教は“人間の完成”“人格の完成”を目指したものであった。」

「大事なのは~どのような生き方を貫いているのかである。」

「~自分自身で確かめたものでなければ何ものも信じてはならない~」

「自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。」

「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望を持つ。大切なことは、何も疑問を持たない状況に陥らないことである。」

「科学者は、科学という専門領域で自足することなく、周辺分野にも目配りと理解が必要である」

「無知が権力で武装するときほど人間の本性が堕落することはない」

「今まで生きて有りつるは、此の事にあはん為なりけり」