■ラーメン
朝から雨であるが、小雨ぐらいなので傘を差してセカンドオフィスへ向かう。バスが目の前で信号待ちしていたので走れば間に合ったが、走らなかった。歩道はまだ凍っている。
何を考えていたかは夢と同じで覚えてはいないが、考え事をしているうちにアーケードに到着である。こうなると、傘は不要になる。
最近、コーヒーはストレートにしている。今日はモカであった。思いつくままに、いままでで美味しいと思えたコーヒーを挙げて見ると、喫茶エビアンのコーヒー、ハワイのコナコーヒー、雷鳥の車内販売のコーヒーになろうか。このうち、コナコーヒーは先日までこの店で出されていた。他のより高いが頼んでいた。
帰りも歩いたので8千歩を越えている。さて、昼である。昨日は蕎麦であり、ご飯がないので、ラーメンにするつもりでいた。それもいつもの生ラーメンではなく、少し高いが有名店の味噌ラーメンにしようと考えて帰宅した。それとなくスマホを見ると知人のTさんから1時間も前にランチお誘いのLINEが入っているではないか。歩いていると聞こえないのである。正に、間一髪であった。自宅まで来ていただいて店に向かう。
なんと、行列が出来ており30分以上も待たされた。注文は「小」である。
これで充分満腹になった。野菜がこれでもかというくらい入っている。
その後、マックドのコーヒーを飲みながら駄弁る。
■「60歳からの新・幸福論」(多数、宝島社、2018年)を読む。(その3)
「“人生100年”というキャッチフレーズが欲しいだけで、詰まるところ金儲けのためだ。」
「未来に逃げるのはこすっからいですよ。~マスコミは報じっぱなし、国も官僚も企業も、みんなテキトーなのだ。」
「他人の楽しみは、必ずしも自分の楽しみではない。」
「~何をしてもいいし、何をしなくてもいい。」
「なんともならないのが現実である。」
「幸せを得るためには“困難”という“負荷”を味わわなければいけません。」
「~それは生きて行くうえで何が本当に必要かを見極める知恵を深めていく時期なのです。」
「人生には、自分が不幸だと感じたら、どんな小さなことでもいい、何か人のためになることをしなさいという鉄則があります。」
「~簡単なことで頭を切り替えていく訓練が、老後を豊かに生きる鍵になってくるのです。」
「~黙々と身体を動かすことが怒りの解消に大きく役立つ~」
「“老い”と“死”に医療は無力」
「~“自然死”は、それまでの病院死とは違って、皆苦しむことなく、穏やかに安らかに亡くなっていくのです。」
「~食べ物に手を出さなくなるということは~もう“寿命”と考えていいと思うんです。これは人間だけでなく、あらゆる生き物に共通している最期の姿です。」
「~胃ろうは~死を先送りすることはできるんですが、本人の苦痛と引き換えです。」
「~がんも何もしなかったら痛まないままスーッと穏やかに死んでいけるんです。」
「~繁殖を終えた年齢になっていたら、がんは死ぬまで見つけないほうがいいと思いますね。」
「~痛みは老化が原因なのに、病名をつけて希望をもたせるんです。老いを病にすり替えるわけです。」