■その後
昨日の食事会後、アルコールの影響は大きかったようだ。テレビを付けたまま寝入ってしまい、途中で切った。そうして、朝、自然にスッキリと目覚める。こんな目覚めは久しぶりである。これもアルコールの影響だろうと考える。
家人は休みなので、朝食後セカンドオフィスまで歩く。雨は小雨なので問題ない。
今日はフルメンバーがそろった。話題は、昨日の天ぷらの話である。やはり、皆ホタテの印象が強い。貝柱の後にワタが出て来た理由は、生の殻付きホタテを取り寄せてあったようだ。そうして、これは特注であった。
また、やろうということで終わった。
とかくきらびやかなことが無い老後に、一筋の光のような存在である。お金はかかるがその分、他で節約しようと思わせる内容であった。
帰路も歩いたので、8千歩になってしまった。昼はどうするかと少し考える。
手打ち蕎麦の伸ばす前の状態のが150gほどあるので、これにしよう。レトルトカレーを掛けて、カレー蕎麦にしていただいた。
少し疲れがあるようなので、ファンヒーターの前でなご成る。自然に眠ってしまったようだ。中途半端な時刻になったので出るのはやめる。そうして、うどんを打つことにした。ちょうど2回分あるので、うどん粉は使ってしまおうと思う。これからは、蕎麦一本にする予定である。
夕方、ドラッグストアまで水をもらいに行くと歩数は1万歩になった。
■「60歳からの新・幸福論」(多数、宝島社、2018年)を読む。(その4)
「~われわれの身体の細胞のうち、一日に数千個ががん化しているといわれています。」
「ボケも老化ですが、がんも老化なんです。」
「人間、年を取ったらどこか具合の悪いのは当たり前です。」
「~自分で食べることができなくなったら“寿命”と考えることを、年寄り間の、そして社会的合意にすることです。」
「~繁殖を終えたらいつ死んでもいいというのが、自然界の“掟”なんです。」
「還暦を過ぎたら、死ぬことを考えたほうがいい。」
「死ぬというのは、そんなにつらかったり、苦しかったりするもんじゃないんだ、こんなに穏やかなもんなんだよ」
「老後こそ、死に物狂いで学ばなければいけない時代なのかもしれません。」
「書くという行為は、ある意味で“昇華”なのでしょう。」
「~いつも最悪のことを考えていたい~」
「老人は軽蔑されて当然だと、私は思っています。」
「プラトンは、哲学を“死の練習”だと言っています。」
「鍛えない、人とくらべない、うまくやらなくていい」
「元気で頭もはっきりしているうちに高齢者向けの施設に入ることにしたのです。」
「私自身“明日、終わるかもしれない”という覚悟をもって生きています。」
「~老人になるということは、坂を下っているのではなく、一生懸命坂を上っているのだ~」