検診

■検診
 ここ一か月ほど非日常的なことがらが続いている。もう少しで一段落する見込み。
その疲れが出て来たのか幾分体調が悪い。今日は、”老化加速マシン”が使えないので、徒歩で医者へ行く。雨がひどく、公共交通機関とも思ったが、そう急ぐわけでもなく歩く。イタチ川の橋の上でジンチョウゲの匂いがする。昔は、風向きなどを見ながら木を探して散歩したものだが、気温も低めでその気にならない。やはり、散歩は晴れの日に限る。しかし、雨の日もそんなに悪くない。
 検診の結果、悪化していた。先生曰く、『このままの状態では・・・』と言われたので、やっと死ねるのかと期待したが、『薬の量を増やさなければならない』とのことであった。これ以上医療費が増えると老後破綻の日が早く来てしまうので、避けなければならない。家人いわく、体重を落とせば緩和するとのことで、市民プールの年間会員を強く勧められた。しかし、ああいう場所は、逆三角形の鍛え抜かれた容姿の方が多く、自分の醜態を晒すという考えまではいかない。体重は相変わらず減らない。今日は、昼を抜こう。
 昨日の墓参りで弟が中を開いたのを見て、川柳を作っていたことを思い出した。
 ○ 墓参り自分の場所を確認す  禅智
 帰宅後、自宅で横になって休んでいたら家族が帰って来て「あっ、トドがいる!」と悪態をつくので、それはトドに悪いだろうとかわし自室へ向かった。
 テレビはニュースと自然関係以外はあまり見なく、話題についていっていないが、笑点は見ている。日曜日の夕方だけかと思ったが、火曜日も水曜日もやってくれてありがたい。
 週末は予定が入っているので、ここ2〜3日はゆっくりしようと思う。
 朝寝、朝酒、朝湯なども定年前はあこがれていたが、出来る環境になるとなかなか出来ないものだ。

■「人生という夢」(小檜山 博著、河出書房新社、2016年)を読む。
「だが靴を履くようになって、失ったものもあるような気がしてならない。」
「とにかく仕事に自分を合わせることだった。働くとはそういうことだ〜」
「それに小説を書くのは社会に適応できない逸れ者で、恥ずかしい性情だという気持ちはぼくから抜けない。」
「〜おカネを貯めるという趣味はない〜」
「生活のために書くと作品がぶれるから」
「年をとると考えることが多すぎるため、時間が足りなくて閉口する。」
「不快なことは、便利さの中に浸りきって脳味噌も手足も退化してゆくのを感じてもいる。」
「〜老人とは六十五歳以上の人をいう〜」
「このつらい世の中を生きるのに一日じゅう正常な精神状態でいつづけるのは痛苦である。」
「老いは成熟だ〜」
「〜ぼくは自分の足で歩けなくなって寝たきりになり、自分で体の始末ができなくなったら、さっさとこの世からおさらばしたい。」
「無知は滑稽だ。」
「冗談は度を越すことが大切だ。」
「お世辞は度が過ぎれば過ぎるほど嬉しい。」
「年寄りはただでさえ汚く見えるのだから、常に身綺麗にしていなければいけない。」