■人参祭り
今日も昨日と同じ行動の予定である。朝、家人を送った後に子供から連絡があるまでセカンドオフィスで過ごす。入店して1時間もしないのに、送れ連絡が入る。
子供を送って帰る途中に、知人のTさんからLINEが入った。今日は、これで夕方まで自由だと伝えると、迎えに行くと返事が来た。
先ずは、腹ごしらえである。少し早いが開店直後に入らないと行列ができてしまうのであった。いつものラーメンである。当然ながら小盛にした。
上から箸を突っ込んだが、麺までは届かないくらい野菜が多い。麺無しメニューもあるという。
そして、会場へ向かう。あまり詳しくは聞いていないが、ニンジンの詰め放題という話であった。この時点では、テーブルの上に山のように積まれたニンジンを器用にそして工夫しながら袋が破けないように詰めると考えていた。
会場に到着したが、テントが1つあるだけである。ニンジンはどこだ?
袋を買ったが、多すぎるので二人で分けることにした。受付の人に、そこ曲がって直ぐと言われて、農道を歩き始めた。しかし、見えない。1kmまでは行ってないが、500m以上は歩いて会場に到着した。
ニンジンの畑である。10万本ほど植わっているという。これを掘って、袋に入れるのであった。
担当の方に見本を示してもらう。
なるほど、あまり力はいらないらしい。ニンジンはこのように植わっている。
さっそく知人のTさんが掘り始める。流石に兼業農家である。手つきが違う。
こっちも、農家の方といっしょに掘り始める。
何本ほど入るのだろうかと聞くと、50本ほどという。そこで、その数になるまで掘る。自分の入れ方が悪いのか、袋が閉まらなくなる。
普通は、これで終わりだろう。しかし、農家の方が両手で持てるだけ持って後ろに着いて来られて、ハイとおまけである。袋の中には入らないので道路に直置きされる。
ひどく重いので、知人のTさんは車をまわされた。
さあ、どこで分けようかと走っていると、スキー場に行こうとなった。ここの駐車場で分けようと。
駐車場に並べて数えたら58本もあった。二手に分けて車に積む。
重いので自宅まで送ってもらった。
日は高く、暖かかったので、昨日の続きで木の実を処理する。
歩数を確認すると3千歩ほどなので、家人を迎えに行く前に公園を2周する。梅の花が綺麗だった。
今日は、知人のTさんに人参祭りに連れて行ってもらい、楽しい一日になった。このイベントは毎年あるようだ。家人がニンジンを見たが声が無かった。雰囲気では、誰が食べるのか、あんた作られよと伝わってくる。そこで、明日から、蕎麦とニンジンの調理に決まりであるが、悩ましいね。そうして、絶対に腐らせないぞと誓った。
■「人生賛歌」(小檜山 博著、河出書房新社、2020年)を読む。(その2)
「何もせず席に深々と身を沈め、ただぼんやり過ごすときに、いのちの充足を感じる~」
「自分の非才さに失望しかかるのを酒と乱読で必死にもちこたえた。」
「人生は、みな思いがけない。」
「~一番嫌いなのは自慢話と他人の悪口とおカネの話である。」
「わが殺風景になりがちな老骨の日々~」
「友を誹謗、中傷し、友の不幸を喜びにし生きがいにしているだろ。それ退化っていう。」
「~人間の価値はおカネのあるなしとか名声、地位じゃない、持っている理想、理念~」
「~現代人はカネを神としてあがめ、カネの奴隷になった。」
「寿命という時間はカネで買えない。」
「歩数が多いと酒もうまい。」
「いくら飲んでも深く酔わないのは人生が楽しいからである。」
「生きて虜囚の辱めを受けず」
「人間に国のため世のため人のために働けというのは間違い。」
「これで小説家に必要な劣等感が育った。」
「~死にたくなったら夜空の星を見上げよ、宇宙の大きさを知ったら人間の悩みの小ささがわかる。」
「~物を書くとは、つらい記憶と向き合うこと~」
「わが人生をささえてきたのが劣等感だと思えば、よくできたほうだと言うしかない。」