道具揃う

■道具揃う

 今日もいつもの一日になる予定であった。朝、家人を送った後、子供からの連絡が入るまでセカンドオフィスで過ごすことにしていた。並んだが、もたもたしている。そのうち、迎え連絡が入ったので、キャンセルしたような形で店を出る。

 送って行ってから、蕎麦打ち道具を買いに行く。麺棒、まな板、小間板はそろえたが、包丁が残っている。自宅にある包丁は、刃の部分が曲線になっているので、蕎麦切りのように、いっぺんに切ることが出来ない。予算は100円である。

 この蕎麦切り包丁の機能を検討してみると、直線で小間板が18cmなので、15cm以上が望ましい。そして、当然鋭利な刃が必要である。蕎麦の旨さの要因で角が立っているという風に切れることが望ましい。

 百均をだいぶ回った。金属の定規を研いで刃にするつもりでいたが、いいものが見つかった。ペンキなどをはがすピーラーである。しかし、金属製はヘラの部分が10cmしかないので諦めかけていたが、樹脂製のが見つかった。15cmある。

 帰宅後、まずはニンジンの下ごしらえである。テンプラにするので、ピーラーで薄く切る。小さくなった時点で、擦り下ろす。

 9.5割蕎麦を伸ばして折り曲げる。小間板を乗せて、ピーラーで押す。

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 ザクザクといい感じに切れている。まだ小間板の使い方がうまくないので太くなったが、今後の練習課題である。

 ニンジンも添えて、とろろ蕎麦でいただく。前回保留にしたが、今回の熟成は十分である。

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 最初は、汁を付けずに食べる。う~ん!汁を付けて食べるも、やはり違うという結論に行き着いた。まあ、切れなかったのは幸いである。こんなもんでいいかな、と思いながらであったが、最後に、もう一回試行することにした。つなぎ2.5%である。

 9.75割蕎麦を作ることにした。

 午後からも暖かかったので、木の実を処理してから公園に向かう。歩数は足りていないにもかかわらず、疲れを感じる。

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■「ぐるぐる登山」(高橋陽子著、中央公論新社、2014年)を読む。

「わたしたちがお互いを大事にすることって、自分を大事にすることとおんなじなんだと思う。」

「究極、父親が写す子どもの写真に勝るものはない。」

「人生に可能性がたくさんあったというのに本人はその価値に気づかないうちにこの世界から消えてしまった。」

「外見なんて関係ないっていうのはきれいじゃない人のいい訳よね。」

「石ってすごいパワーがあるんだから。」

「人間ってどんなにひどい目にあっても簡単には死ねないものなんだよね。」

「意にそわない仕事をするくらいならバイトや派遣でもいい~」

「肉体の疲れというのはなぜか底の方から力が湧いてくるような気がする。」

「もう一度だけ、人生にチャレンジしてみようか~」

「未来なんかちょっと待っていればいずれやってくる~」

「それがビルなんて月日がたてば修繕にもお金うんとかかるわけよ。」

「才能ある人はなにかしらの十字架を背負ってるもんよ」

「~しあわせとは心の状態である。」