無題

■無題

 今日も送り迎えの一日になりそうだ。朝、家人を送った後、セカンドオフィスへ向かい子供からの連絡を待つことにした。カウンターに立った途端に氷入り水が出て来た。もう完全に覚えられたようだ。

 子供を送ったら昼になる。今日で打ってあるラーメンが無くなるので、何にしようかと考えながら、粉も買わなければと思う。あまり暑くもないし、手間はかけたくないので、煮干しラーメンに決めてスーパーへ向かった。ここは、大袋しかない。チャーシューを作ろうと肉売り場を見たら、軒並み500円パックばかりである。一回に100gとしても5日かかる。これでは駄目である。そこで、市販のチャーシューを買う。

 煮干しはどうかと探したらあった。しかし、大袋で1000円以上の価格である。こんなにはいらないといろいろ探していたら、粉末煮干しがあった。これはいわゆる魚粉というやつだろうか、値段は手頃だったので、これを求める。粉も買う。

 さて、作ったことはないので、失敗覚悟である。取りあえず醤油ラーメンに魚粉を入れればいいだろう程度の知識である。麻婆ラー麺の時の残った豆腐も付ける。

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 まずはスープからである。一口飲んで、失敗と分かった。煮干しが濃すぎるのである。それでも全部飲み干した。次回は半分ほどにしようと考えている。食べた後も長い間煮干しの味が残っていた。

 直ぐに次の麺を打つ。

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 マストの昼寝をしていたら、迎えの連絡が入る。今日は、体のいい休日になった。

■「生きる!」(嵐山光三郎著、新潮社、2020年)を読む。(その3)

「男の意志もひとつの孤独である。」

「いまの世相は寛容な精神が欠落している。」

「いつもろくなものを食ってないんじゃないの?」

「読者が一番知りたいのは、その人の年齢なんですよ。」

「七十歳をすぎると、親しかった友人がドドドドドと死んでいく。」

「“夫とケンカしたり、あちらの親に叱言をいわれたらさっさと帰ってきなさい。」

「虹という漢字は大虫、すなわち大蛇である。」

「物忘れが多くなったり転んだりして、ジジイになったな、とは思うが、認知症ではありません。と強弁するのが認知症のはじまりであるらしい。」

「老人は落ちているものはなんでも拾っちゃう習性があり~」

「庭師に頼むが、忙しくてなかなか来ない。」

「~遊ぶためには働かねばならぬ~」

「時代が荒れている。気性がトガって、ざらざらしている、この先が見えない。」

「いつだって“いまが一番!”と思わなきゃ、生きていけない。」

柳田國男は、家にいるのがいやでたまらず、しょっちゅう旅をつづけていたのである。」

コロナウイルスの感染によって変わったのは“人間の価値”意識である。」

「このたび、私は、この世とおさらばすることになりました。」