■壊れる
目が覚めて時計を見ると3時45分であった。よく眠ったものだ。若干寝すぎではないだろうか。昨晩は、暑いのでエアコンの入っている子供の部屋へ避難し、19時前には寝入ってしまった。
朝から時間があるので、6時過ぎにセカンドオフィスへ向かう。しかし、あまりにも早く着くので、途中のベンチで汗を乾かす。10分前に店の前に到着したら、回転する看板が回っていたので、入れるかとドアにたったが、自動ドアは開かなかった。時間まで、総曲輪のBASEのベンチに腰掛ける。回りを見ると何名か如何にも開店待ちという方が分かる。3分前になると4名の行列ができたので、その後に着く。
今日の予定は、医者である。この病院は、コロナの接種を請け負っており、10時からと15時からは一般診療はできないので、9時過ぎには入らなければならない。
8時45分の常連さんが来店され、9時に席を立った。店のドアのところで2人目の常連さんと会って挨拶をする。
駅裏なので、遠回りでも日陰を選んで歩く。なんとか時間内の入ることが出来た。2ケ月前の血液検査の結果を聞く。いつもは、※印はないが、今回は1個あった。これは、オプションで検査している項目である。まだ、深刻な値ではないと言われたが、上限をはずれていることには違いない。もう少し、値があがると治療に入りますと普通に言われる。原因を聞くと、毎度のことながら”加齢”とのこと。
頻繁に見聞きする内容で、高齢者の薬の種類がある。ある方は、8種類で多いと考えていたらしいが、知人が15種類だと知り、まだまだと思ったらしい。また、増えるのかねえ。これは、薬代も増えることを暗示している。身体は、壊れたままである。
昼頃帰宅し、昼食も作る時間がないまま、家族を送って行く。14時前にやっと昼食である。今日は暑いので、ゴマダレ冷麺の大盛りを作る。満足であった。
この年齢になると、分かっていることがある。それは、何でもが壊れる時期があるということである。時計のバンドが壊れたが、これは序章に過ぎなかった。思い出すまま列記して見ると、ズボンのベルトが2つ壊れた。原因は腹圧である。急ぎ、しまむらへ行って、直ぐに締めると言って買って来た。壊れたベルトも何とか直して活用したいものだ。次いで、玄関のドアである。これは、壊れた訳ではないが、勢いよく締まるので、家人から壊れるねか!と修理指令を受けていたものである。なんとか、ドライバー一本で直せた。そして、座敷のグローランプである。これは、買い置きが無かったので買いに行ったが、おびただしい種類がありどれか分からず、適当に買って来た。
そして今日であるが、車の充電器が不通になった。シガーライターから給電しているが、どちらが壊れているのか分からないので、車屋さんにいったら、シガーの方は大丈夫であった。無料であった。そしたら、充電器を買わなければならない。おそらく、ヒューズだろうと見当をつけているが、簡単には分解できないようなので、諦める。並びに、携帯の電源である。53%なので、1時間ほど充電していたが、53%のままであった。ランプが点かない。別のコードでもつかない。これは本体の問題ではなかろうかと、スマホショップに走る。店の前には車が1台も停まっていない。休日であった。
これで、自分の精神も壊れた。
歩数は1万6千歩であった。
■「90歳を生きること」(童門冬二著、東洋経済新聞社、2018年)を読む。(その1)
「人間の論理は、天の理に背くこともある」
「生者が記憶するかぎり、死者は生きている」
「恕(じょ)というのは“相手の身になってものを考える優しさや思いやりのこと”」
「しかし複雑な世だからこそ誰からも学べる。」
「たとえ相手が誤っていても、それを真っ向から否定しないこと。」
「部下を傷付けたら、絶対に許しは得られない。」
「指摘によって恥をかくところを救われたのだ」
「先生~相手だって慣習でそう呼ぶだけで、別に尊敬しているわけではない。」
「~“優越感”は実に厄介な代物だ。」
「そこで私は近ごろ“品性のよさ・悪さ”で会う人を区分している。」
「悪魔はデーモン、感じにすると泥門。これでは詩情がうせるので、童門にした。」
「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし。必ず急ぐべからず」
「映画好きはいつも青春なのだ」
「人間に例外はない」
「無駄な抵抗はやめろ」
「死ぬまで継続することを義務づけられている。」
「運命は従う者を潮に乗せ、拒む者を曳いていく」
「講演は人前で恥をかく行為であり、恥をかくまいとする努力が血流をよくする。」
「みそ、コメ、のり、明太子、ウニなど、実はすべて指定品だ。」