アッシー

■アッシー

 昨晩、道路が氷結していたため、家人は予備タイヤでの車の送迎を断り、電車と徒歩で出勤した。電車を使うと歩く距離が4kmほどと短くなるので便利だという。

 今日は朝一で自動車整備工場へ行かなければならない。まだ、買って3カ月なのでひょっとしたら保証期間内ではないかとの淡い期待で向かう。まあ、パンクなので2時間もあれば終わろうと考えていた。

 待合室でゆっくりする。

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 状態を見た担当者がやって来て。修理は不可で交換になりますと告げられる。

 電気屋さんもそうであるが、昔は修理してくれたモノでも店の売り上げを上げようと新しいものと交換させてしまう。何度、苦々しい思いを味わってきたことか。

こんなもの、豊かな生活ではない。金で成り立っている砂上の楼閣であろうか。これから使うモノは、自分で直せるものに限ると考えている。その結果、電気製品は該当しなくなる。まあ、江戸時代の生活ということだろうか。スマホやパソコンも必ず壊れるのである。

 今日は忙しかった。終始送り迎えで一日を終えた。自分を加えて3人で各2か所づつあると、送りで6往復、迎えで6往復の合計12往復の送り迎えが発生する。昔は、子供たちがもう2人いたので、ほぼこの倍になっていた。

 隙間時間を狙って昼を作る。今日は、ニシン蕎麦にした。ニシンといっしょにネギも焼いてとろとろになった。

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 これは旨い。やはり昔から伝わっているメニューは時代のフィルターを経ているので間違いない。もう数回分できるニシンが残っている。

 夕方近く図書館へ送ってもらい、帰路雹が降る中を歩いてやっと5千歩である。

■「猫がこなくなった」(保坂和志著、文藝春秋、2021年)を読む。

「猫の毛色は胎児期の染色体のスイッチで決まってクローンでも同じ色にならない~」

「七十年代の日本人は夢を持って生きていた~」

カフカは~短い断片をたくさん書き遺した~」

インディオにとって敵に殺されて食べられるのは名誉で、ただ死ぬのは恥だ。」

「過去は、現在としてのそれ自身と共存する。」

「命において死は生きるのと並行して在りつづける。」