高齢者

■高齢者

 勤務二日目である。今日から、午前中に新しい仕事を与えて頂いた。あえて、表明する必要もないので、このままスルーしようかと考えていたら、今日のニュースで自分が放映されてしまった。さっそく、知り合いから連絡が来た。家人も見ていたので聞くと、知っている人でないと分からないから安心してと言うが、当たり前である。知らない人から写っていると連絡をもらうほど気持ちの悪い事はない。

 その関連で、嫌な思いをしたので、ここに記す。

 職場の前には、国道ではないが、幹線道路が走っている。片側一車線である。職場に入る車を誘導するのが、新しく加わった仕事である。満車になったので、手でバッテンを作って、ウインカーを上げている車に合図を送っていた。ほとんどの車はそのまま通過していったが、軽トラに乗った高齢者は、なんとか隙を見つけて入ろうとする。口論になった。後ろには、30台ほどの車が詰まっている。クラクションの応酬である。

 私が、どれだけ話してもダメで営業部長がやって来て、罵声の言い合いにも発展し、やっと行ってくれた。後ろの車からは、自分の対して罵声が浴びせられる。

 まったく、やってられない。この業務は20日までと指示されている。精神が持つかなあ。

 また、今度はばあさんである。同じように満車であることを示したにもかかわらず、車の流れを堰き止めている。そうして、Uターンをさせてもらえないかというので、門を開けて入れたところ、ずっと先までいってしまい枠外に駐車してしまった。

 枠外のばあさんはもう一人いた。前の駐車スペースはいっぱいなので奥の方を案内したが、前の枠外に停めてしまった。自分と目が合うと、足が痛いんで、と胡麻化す。なら、運転するなよ!と心の中で叫んだ。知能犯はまだ居る。車を路駐させて来る。

 まったく、こんな高齢者にはなりたくないと思ったが、自分も似たように映っているのかも。

 午後からの仕事は、今日も自動機のお守りである。ライン停止はなかった。しかし、新人の教育を頼まれたのには驚いた。なんせ、自分は昨日からやっているのである。その人が、今日からやる人を教育する。まあ、見ているだけなので大したことはない。そのうち、ラベルの張替も習わせられた。これは、やりたくないね。

■「校正のこころ」(大西壽男著、創元社、2021年)を読む。(その2)

「人生の真実は、本や記事にならないところにある~」

「縁の下の力なし」

「辞典や専門書、データベースを活用すればわかることは、知らなくてもいいのです。」

「~内容に比して過大なラベルを貼り利ざやを稼ごうとする悪徳商法に~」

「原稿の分量を“四○○字詰め原稿用紙何枚分”と換算する表現はもはやほとんど死後である~」

「積極的で能動的な行為は疲れるものです。」

「~自分の知識や感覚をあてにしない~」

「紙に印刷して校正する~」

「言葉にしたとたん、言葉は噓になる」

「~“紙で綴じた本”は、まずまちがいなく絶滅するでしょう。」

「~言葉を畏れることと、おもしろがることです。」