■秋の味覚
連休初日の土曜日、いつものようにセカンドオフィスの開店時刻に合わせて家を出る。偶然であるが、くさのさんは予定が変更になり時間があるという、そこで秋の味覚を求めて散策することにした。
セカンドオフィスの近くでピックアップしていただき県内某所へ向かう。
まずは、栗である。
時間をかければもう少し採れるが、この辺でやめておく。二人とも似たような収穫数であった。
次に、ランチである。最近開店した初めての店に向かう。自宅をリニューアルしたようだ。
ご飯はお代わりできると聞いたが、体重がリバウンド進行中なので、止めておいた。
次に向かうのはグミである。
これはジャムにする予定である。くさのさんとは別れて帰宅する。
グミを処理する。先ずは全数選別である。枝からこそぎ採ったので、未成熟の実や葉が入っている。花柄も取る。皿にあけ、割り箸で一粒づつ選別する。
ザルに入れて水洗いである。その後、ジャムを作る。隠し味に蜂蜜を入れて見る。
フランスパンに塗って食べて見る。悪くない。
秋の味覚を味わった。
■「ねじねじ録」(藤崎彩織著、水鈴社、2021年)を読む。
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味は分からない。」
「自然なものよりも、作り上げた偽物の方がしっかりと物事を伝えられる~」
「忙しい時は、見えているようで見えていないものが多いのかもしれない。」
「忙しい時ほど、手間のかかることが自分の心を癒してくれることがある。」
「日本人は料理を頑張りすぎている~」
「お金で環境を整えることはできても、“餓え”を買うことはできない。」
「絶望というのは、案外静かなものなのかもしれない。」
「結局考えたところで何も変わらないし、変えることは出来ない。」
「そういう小さな目標をいちいち人に言う奴は、だいたい続かない」
「優しさは運動したことによって得られる、体力のようなもので出来ているのではないか」