■祭
今日は1日である。毎月この日は忙しない日になっている。これに加えて車の定期点検が予約されていた。諸事をこなし、歩数を稼ぐという課題に取り組まなければならない。
定期点検は10時なので、7時にセカンドオフィスに行って、9時に出れば9時30分に帰宅出来て、その足で車屋さんへ行くのがいいかもしれない。しかし、銀行などへ行っていると忙しない。
そこで、午前の予定と午後の予定を入れ替えることにした。
早朝、近くの公園を歩く。
驚いたことに、クワの木が実を付けている。先日クワを知らない年長者の方がいることが分かり新鮮であった。まだ、実は赤いが、熟しているのもあり、摘まんだら美味しかったね。
一面紫であった。この時期、花が乏しくて群生していると思わず目が行く。
これもそうだ。珍しくはないが、スイカズラが一面であった。
拡大するとこうなる。
アキグミはまだこの程度である。熟したら採りに来たい。
相変わらず元気である。
川の方からはオオヨシキリの声が聞こえる。カッコウも鳴いた。思わず、一輪だけ目立っている花があった。ムシトリナデシコと出た。ところが、しばらく歩いていると群生地もあった。
これは、イボタノキである。
こっちは、ウメモドキである。花が可愛いね。
時間になったので車屋さんへ行き、定期点検を終了する。こうなると、車は邪魔になる。
ドラッグストアによる。改装中であったので改装後を確認すると、野菜コーナーが出来ていた。値段も安い。2品買った。
帰宅後、昼食である。やはり、昨日のサンショウを使いたかったのでマーボスパにした。スープには三つ葉を浮かべた。サンショウがいい仕事をしてくれた。
昼食後、少し昼寝をしてからセカンドオフィスに向かう。チャージをしなければならない。
少しウトウトしていたら、神輿の掛け声で起こされた。
祭り会場を見ていくことにした。今日から本番である。知らない食べ物が沢山あった。その中で、どんどん焼きには行列が出来ていた。見ていると、一度に18枚焼いているが、買う人が5枚とか複数買うので、直ぐに無くなってしまう。すごい回転率である。しかし、コンブとテンカスだけではなあ。昔はサクラエビも入っていたような、と歩いているとそのどんどん焼きもあったが、50円高かった。
帰路、神輿の掛け声が聞こえたので追いかけた。なかなか、最近の神輿はワッショイといわないと思っていたので、聞くことが出来て良かった。
今日から祭の日であった。
■「百まで生きる覚悟」(春日キスヨ著、光文社新書、2018年)を読む。(その2)
「~親より子供の方が先に逝く“逆縁”リスクが高まる~」
「~精神病薬を処方され、副作用で母の人格がどんどん壊れていくのを目の当たりにして~」
「~長寿化が進む現代、誰もが認知症に対する備えが必要な時代になっている。」
「~お互いが顔見知りで、悪質な商取引などないだろうと考えがちだが、すでに日本はそういう社会ではなくなっているようだ。」
「~何より必要なのは、葬式にたどり着く前の、“倒れた後の暮らし”に対する備えである。」
「~90歳を越え100歳になるからといって、人は“自分の歳”を実感するわけでもなく、倒れた時の身の振り方を考えるわけでもない。」
「結論は、私はあなたを介護したくない。あなたも私の介護をしたくない。」
「“死”が裂けられないのが人間の運命なら、老いて人の世話を受ける時期があるのも、人間の運命と考えるべきである。」
「~元気でまだ余力があるうちに、どのように自分は人生を終えたいかを考え、情報収集し、人間関係を組み直していく生き方なのではないだろうか。」
「未来はつねに現在によってつくられていくということを忘れてはいけない。」
「目指す八十代に達して一安心した時、その先の目標が急になくなったような気分を覚えた。」
「今は以前みたいに、2カ月も3カ月もの入院はできなくて、2週間が目いっぱい~」
「長生きし過ぎた、生きていてもいいことなんかひとつもない!」
「~たしかに老人ホームというのは終身刑のような気持ちで入る所だ~」
「墓じまいをして肩の荷が軽くなりました。」
「その場になってからと言われると、準備にはならんのです」
「自分はこうしたいという老後についての考え自体がない」
「先に死んだ方が勝ち」
「人間はどんなに元気でも歳をとれば弱り、人の手助けを必要とするようになり、介護を受け、死んでいく」
「娘たちに私をみる力は無いと思う」