■無題
今日も特別に予定はなかったので、いつもの一日になりそうである。朝は6時半に家を出たら、近所の方と会い早いですねと言われたのであるが、今日は遅い出足である。駅のセカンドオフィスの開店は7時なので、いつもより30分ほど遅いと応える。
今日はソファの席は空いてなかったので椅子席に座る。まあ、ここでも落ち着けるね。しかし、エアコンの冷気が寒い。上着を持って来なければならないくらいである。もう、そういう年齢になったということか。10時過ぎまで過ごして店を出て、帰路に着く。
途中、ヒマワリの咲いている家があった。
昼食である。今日は蕎麦の日であるが、タンパク質がないので、買い物をして来た。
天ぷらも揚げた。そのついでに、油揚げも作って見た。まあ、失敗である。
今日は予算を超えている。150円ほどにもあろうか。そういう場合は、第二部は無しにしている。
少し昼寝をしてから、味噌を買いに行く。先月から量り売りを工場から直接買っている。味噌の容器を洗って持参する。こうすると、袋からあける手間がいらなくなる。
フォレスト関連のメールやら電話が入り、寝てもおられない。起き上がってから、準備作業を少し行う。歩数も足りてないのと中途半端な時間になったので、第二部に向かう。
外は、涼しい風が吹いていて、蒸し暑さとは無縁であった。
家庭菜園では、大玉トマトが赤くなっている。明日採ろう。ミニトマトも4個ほど色付いている。
■「土になる」(阪口恭平著、文藝春秋、2021年)を読む。(その2)
「他の人の畑は生きた書物だ。」
「やっぱり、朝採りが一番おいしいね。日光を浴びる前がおいしい」
「害虫がいないと、益虫も来ないからな」
「記憶は私たちを、事物の流れの運動から、いいかえれば必然性のリズムから解放するのだ。」
「鬱とは“時間を感じている時間”なのではないか~」
「時間とはすべてが一挙に与えられるのを妨げるものである。」
「一回だけだと忘れるが、二回やると忘れない。」
「気づくのが遅すぎたなんて思わない。いつからはじめても遅くない~」
「野菜もどこかしら、お前に似ている」
「僕は死にたいと思っていたんだから。」
「人に収穫をしたものをあげるのは、自分でたべるのとほぼ同じくらいの栄養源になるなと思った。」
「今、僕は立って、執筆している。」
「~きっくり腰になった時に効くのは、救心などの心臓に効く和漢薬だと言う。」
「~体は変化する。変化するってことを知らないといけない。」
「~僕はふと土を食べたくなった。~つい土を舐めてみた。」
「動物には“医者”が存在しない。」
「病気を治すのではなく、健康の感触を取り戻す。」
「うちの畑の土は口にしても問題ない」