呉羽山220620

呉羽山220620

 梅雨時期の貴重な晴れの日である。最近、山を歩いていないので、久しぶりに呉羽山を歩くことにした。9時2分のバスで行けば都合がいい。早朝、セカンドオフィスに向かう。途中、ムクゲの花が咲いていたので撮る。

 ビワも成っていたので、2個ほど頂いた。ビワの皮の剥き方は今の若い方は知っているのだろうか。適度に熟しており美味しかったね。

 セカンドオフィスを8時半ごろに出てバス停に向かう。100円バスでスタート地点へ到着である。ここから歩くことになる。

 これは、ヒヨドリバナである。似たようなのにヨツバヒヨドリがあるが、この花の場合は、葉が十字対生というか輪生というか忘れたが、そうなっている。この花の場合は互生なのでヒヨドリバナであろう。

 車道から、尾根道に入る。いわゆるフットパスを使って歩くことにする。タケノコが顔を出していた。

 1時間もかからずに登頂である。このままだと消化不良になるので、ファミリーパークまで歩くことにした。

 しかし、同じルートばかりではつまらないので、今日は青少年の家経由で向うことにした。ここから下る。

 この木は、分からなかったので調べたら、カジノキと出た。最初はクワかと思ったね。

 タラヨウも実を付けていた。

 青少年の家からファミリーパークへ抜けて、ここからバスで帰る。バス停に近づくと待っている人がいる。ということは、まもまく到着というサインである。小走りに、地下道を歩いたら、既にバスが来ていた。慌てて、走り寄り、ドアをドンドンと叩いて開けてもらった。バスの中は冷房が効いていて涼しかったわ。

 市内で下車して帰路に着く。

 昼食である。今日は、スパゲッティの日である。あまり時間がないのでケチャップ和えにした。今回の特徴は、ウドの葉を5枚切って加えたことである。名付けて、「ウドゲッティ」である。最初5枚は多いかなと思っていたが、もう少し多くても大丈夫そうだ。和菓子のオダマキもあり、家庭菜園のミニトマトも一個付けた。今時点で5~6個色付いている。明日も一個だけにしよう。スープには三つ葉を浮かべた。

 何の問題も無く、満足である。これで、100円くらいであろうか。

 午後からは昼寝をして、フォレストの準備作業を1時間ほど行う。今日は第2部は無しにした。

■「土になる」(阪口恭平著、文藝春秋、2021年)を読む。(その1)

「人間以外との対話がうまくなってきてる。」

「僕はいつも電話が繋がらないときは縁がないと思う癖がある。」

「野菜は夜育つからねえ」

「プラスティックを土に挿すのが嫌だなあと思って~」

「~土を毎日見ていれば、体がとても楽だ。」

「セーターを自分で編むようになってから~」

「われわれのかたちに、われわれにかたどって人をつくり」

「僕は土から生まれて、今も栄養をもらい、また土に還っていく。」

「当然ながら創造とはゼロから作るわけじゃない。」

「とにかく作ったら、次が自動的に見えてくるのを知っている人だ~」

「植物は絶対にあきらめない。」

「継続することだけが、僕の得意なことだ。」

「継続は、能力には関係ない。」

「僕にとって生きるとは“次”のためだけである。」

「~自分から働きかける時、向こうからも働きかけられている。」

「~創造する、ということは“生へ向かう力”だと言った~」

「歌にしておけば、一生忘れない。」

「野菜みたいに成長するなあ」

リゾームには、構造、樹木、根などにおいて見出せるような点ないし位置といったものはない」