ピークアウト

■ピークアウト

 今日も仕事である。流石に、筋肉痛が出てくる。夜は21時を回ると寝てしまう。

 昨日の帰宅時、人事部より朝は9時からと言われていた。そういう場合は、7時に120円のコーヒーを買うことにしている。ドライブスルーである。この時、前日に買った容器を捨ててもらっていた。しかし、今日の担当者には、コロナなので受け取る訳にはいきません、と拒絶されてしまった。車の中には2日分ある。明日からドライブスルーは使えないので、店頭で購入することにした。

 9時出勤の場合は、8時半過ぎにでれば十分である。しかし、サードオフィスでゆっくりしていたが、8時過ぎに小用があり、少し早かったが、事務所へ顔を出した。自然に配置表に目が行く。そして、驚いた。そこには自分は8時出社の通称筋トレラインとなっている。他のメンバーは既に働いている。リーダーのところへ行って確認すると、来てもいいということであった。ええい!無償労働でもいいわと覚悟した。タイムカードは30分前から打刻できるようになっており、例えば8時31分に打刻してあれば、9時出勤とみなされる。

 コルセットも無しである。コルセットは、マジックテープの範囲で調整できるようになっていたが、今の自分には大きすぎて使い物にならない。

 こうなると、作業上の最も気をつけることは、腰をやらない、ことである。働きが悪いと言われようが、いつも下の段ばっかり積んでいると言われようが、最優先は自分の腰である。足の筋肉を利用して腰に負担をかけない方法は前回の腰痛で習得済である。

 今日も9時スタートであったので、自分は1時間しか筋トレラインをやらなくてもよかった。しかし、投入ラインも25kgの通い箱をレールに乗せる作業がある。

 いつも1ライン3人でチームを組み、30分でローテーションしているが、今日は、おばちゃんというか、おばあさんが入った。まあ、重い荷物は持たないだろと考えていたが、ローテーションの関係で聞いてみたら、「そんなもん、できるわけなかろう!」と一発回答であった。そのため、男性2名でのローテーションになった。

 入荷量は思ったほど増えない。昼休憩も90分に戻った。終了も16時30分には終わった。そろそろ、ピークアウトしたような雰囲気である。明日から早出はなく、通常の10時スタートに戻った。

 帰宅時に自分の明日の配置を確認すると、8時からの筋トレラインが入っている。コルセットを改良しようかと考えているが、難しそうだ。代替えも模索中である。

 今日は、7時37分に警報級のゲリラ豪雨があった。この職場にも自転車で通勤されている方がおり、聞いたら、まともにぶち当たったとのこと。全身ずぶ濡れで勤務している。午後から帰宅するとのことであった。

 昼に汗まみれの作業服を外に干しているが、今日は曇りであった。そして、雨も降ってきたので、濡れたままかと袖を通したが、半乾きのような状態で軽くなっていた。

■「作家と珈琲」(多数、平凡社、2022年)を読む。(その1)

「一般にベルリンのコーヒーとパンは周知のごとくうまいものである。」

「コーヒーの出し方はたしかに一つの芸術である。」

「コーヒー~なるほどこれは恐ろしい毒薬であると感心し、また人間というものが実にわずかな薬物によって勝手に支配されるあわれな存在である~」

「記憶は、しだいにつくられる。」

「~珈琲の店として看板を掲げる限りは、いい加減な味ではやっていけない時代になったのだろう。」

「カフェ・オ・レでなく、まさにミルク・コーヒーの~」

「好きに自由なところにすわって、じぶんとゆっくりとつきあう。」

「それはまるで束の間の無限のようにおもえたんです。」

「~コーヒー“主食の時代”だった。」」

「けれど喫茶店で本を読むのがすきな人からは妙な親近感をおぼえるのだ。」

「おまえが病気をしないのは古本屋をぶらつくから足がじょうぶになっているせいだよ~」

「かつては作家や画家などが一日中カフェに座って、自宅の客間のように利用していたという。」

「~少なくとも、コーヒーを飲んでもやせないということは確かである。」

「喫茶店は人生で大切な空間と時間であると思っている。」