迷走

■迷走

 今日も仕事である。朝起きた時に、腰をはじめとした全身の筋肉疲労を感じる。大丈夫かね。最近取り入れているのが、腰痛体操である。3回ほど繰り返すと楽になるのでありがたい。

 朝食は、昨晩のカレーライスであったが、物足りないので家庭菜園からナスとピーマンをもいできて天ぷらを付けた。ハッシュドポテトもついでに揚げた。静かな朝に、ゆっくりと温かい食事が食べられるということに幸福を感じる。ここ数日5時では薄暗くなって来た。

 昼のおにぎりを作る。今日は、いつもの通りである。

 朝は8時半からスタートであるが、ラッシュにあうのが嫌なので、6時には家を出る。途中コーヒーを買うことはルーチンである。

 職場の駐車場でくつろぐ、今日はなんだ疲れを感じるので、居眠りが多かったね。驚いたことに同僚の車が停まっている。後で聞いたら、車中泊をしたという。

 自分の最初の業務は通称筋トレラインである。予想に反して少なかった。10時から別の業務に付く予定であった。もう3分で10時になるので、そろそろと考えていると人事部の人がやって来て、このまま筋トレラインを続けて欲しいと言われる。えッ!と思ったが、まあ慣れない作業よりもこっちの方がいい。10時に通常ラインがスタートしたが、一人来ていないことに気が付く。班長が人事部に掛け合って、筋トレラインから出すことになった。遅刻者もおり2人欠で業務を行う。品物の量は非常に少なく、これではラインが止まってしまうと考えながらであった。腰は、腰痛体操とコルセットのおかげで、どうにか動けている。朝は全身筋肉痛であったが、動いていると痛みは感じなくなっている。

 11時15分にラインが止まった。品物が少ないので、この時間から13時30分まで昼休みである。これには、おばちゃんたちから不平が出た。人事部は、その代わりに作業終了後に清掃作業を入れると対応していた。また、稼働ラインを減らした。そうなると、このラインに従事していた8人があぶれる。

 自分の午後からは、投入ラインであった。まあ、この流れが一番しっくりいくかな。

 15時に終了し、清掃を行う。もう完全にピークは過ぎた。後は、人がだんだんと減って行くのを見送るのだけである。

 帰宅後、休む間もなく、昨日の続きでフォレストの準備作業を行う。気のせいかと思うが、腕力が付いてきたようだ。ノコギリ作業も流暢に出来る。思えば、Z世代に交じって作業をしている高齢者の自分はどう映っているのだろうか。誰かが何かで書いていたが、若い人の中で活動すると自分もその年代になったように感じるとあったように気がするが、確かにそう感じる場合がある。半世紀近くタイムスリップしたような錯覚におちいる。これは、面白いね。

■「まさかの日々」(中野 翠著、毎日新聞出版、2021年)を読む。(その1)

「人間関係を上とか下かでしか見られないという人は案外、多くいるもんだなあ」

「この人と親しくすればトクかソンか?」

「~シマフクロウはフクロウの中でも一番大きくて、日本では北海道にしか生息していない。」

「森の中の暮らしは“見果てぬ夢”です。」

「~“社会への恩返し”という気持ちでボランティア活動を始めたという・・・・・。」

「白目があることによって黒目の動きがわかり~」

「“シカト”という言葉の由来は花札。」

「~いまだにパソコンを使わず、かたくなに手書き原稿~」

「ぼけますから、よろしくお願いします。」

天安門事件~戦車の前に立ちはだかった青年ばかりではなく、戦車を操縦していた青年のその後~」

「だけど、忘れるということも大切ですよ。脳のキャパシティには限界がある。忘れなければパンクしてしまいます。」

認知症になるということは、神さまからの“大丈夫だよ、死ぬのはなんともないよ。だから安心して生きなさい。怖がることはありません”というメッセージ」

「年相応の老け込み。地球の引力には、かなわないものだ・・・・」

「言葉は生きもの、時代の変化につれて変わるものなんです。」

関東大震災第二次世界大戦という大きなできごとの後には、必ず生活様式が凄いイキオイで変わったといわれる。」

「今さら生活環境を変えると急激にボケるような気もして・・・・・。」