日常か

■日常か

 今日も仕事である。いつもの朝食を作り、いつものおにぎりを作り、いつものコーヒーを買って職場の駐車場でくつろぐ。

 朝一に、筋トレ作業である。しかし、自分は10時までである。その後は、投入ラインといつもの流れである。今日も、入荷は少なかった。結局、11時15分にラインを止めたので、昼休憩は2時間15分と長時間になった。

 自分にとっては、ありがたいことであった。

 午後からは、ダンボール入れ作業でこれも1時間少しで終わった。

 帰宅後、一休みしてから歩いてフォレスト関連の打合せに向かう。1時間以上も話し合った。まあ、有り難かったね。

 腰の状態は緩和している。まあ、痛くはない。最近嬉しいことがあった。座って靴下が履けるのである。少し前までは、足を曲げると、お腹の脂肪に当たり、つま先まで届かなかったのである。

■「グレイがまってるから」(いせひでこ著、平凡社、2022年)を読む。

「この人は建築家で、人様の家は設計するが(犬の家も!)自分の家は永久にもたないという変わり者である。」

「立ち止まると、いろんなものが見える。」

「散歩のさせすぎです。運動のしすぎです。」

「でも、だんだんその時が近づく気がする。」

「守ってやらなければならない存在ができた時、人は強くなる。」

「時の観念も死への不安も、ヒトが作り出したものにすぎないから~」

「“気配”というものは“存在”“実在”あってこそ感じるものらしい。」

「当たり前の日など一日もなかった。」

「幸せは、玄関から逃げてゆくのだろうか。」

「五月の風がいっせいに緑色に光り始めた。」