あちこち

■あちこち

 今日も仕事である。いつも通り、5時前には目が覚めたので、いなりおにぎりをつくるため、油揚げの味付けをする。その後、朝食である。昨日と同じでハムステーキを焼いて、マフィンで挟み、ハッシュドポテトとアイスオーレで済ます。老後の豊かな生活の指標として、朝食をゆっくり食べることも掲げようと思う。熱々のを少しづつゆっくりと食べるのは一日の活力が生まれるようだ。

 朝食後は、昼の弁当を作る。油揚げは冷えたので。半分に切って、中を開く。前回はおにぎりを中へ入れようとして破けてしまったので、今回は、少しづつご飯を入れて、途中に、梅干しや昆布の佃煮などの具を入れ、その上にご飯を入れて押し固めた。今回は破れはしなかった。しかし、油揚げの中に入れるとご飯が少ししか入らず。いつもはおむすび2個であるが、今日は、余った分を含めて3つになった。

 車でマックドへいき、店内でコーヒー一個だけ買う。「ホット、ブラック、手持ち」というと直ぐに伝わる。

 そのまま、まだ空いている道路を職場に向かって走る。旧国道を時速60kmほどで走っていたら、軽四に抜かれた。時速80km以上は出ているんじゃないかな。狭い日本、そんなに急いで何処へ行く!

 職場の駐車場では、車の窓を全開にして本を読んだり、考えごとをしたり、居眠りなどする。今日も涼しい風が入ってくれた。

 時間になったので事務所へ向かうが、少し様子が変である。数人が来ていたが、今日から8時30分始まりに変わったのであった。もう最盛期は過ぎたようだ。間違った人はほぼ全員であった。

 最初は。筋トレラインでその後は投入作業であった。これは、いつものことで特に変わったことは無い。午前中は、少ない入荷であった。忙しい時は昼食時間を30分削って稼働させていたが、少ないと15分早めにラインを止める。その分の賃金はもらえない。そろそろ、休んでくれと言われることを覚悟しておきたい。もう辞めるという人も出ている。

 長すぎる昼休憩後、事務所へ入ると自分の投入作業に名札がない。目を凝らすと、ダンボール入れ作業にあった。一日で3箇所も持ち場が変わったことになった。

 自分はここで大きなミスをした。このダンボール入れ工程は2人で担当し、一人が検査し、もう一人がダンボールを入れると、自動で封函される仕組みである。問題があった場合はラインから取り出せばよい。自分が、検査担当であった時に、ダンボール入れの方がラインから取り出した。これは、自分が見落としたことを示している。ああ!

 15時には終了し、事務所へ戻ると明日の持ち場は、これまで1回しかやったことのない作業であった。もちろん、自信などあるはずがない。こうあちこち回されるのもどうか。飽きないのでいい場合もあるが、浮ついているようにも感じる。心当たりはある、忙しい時に、フォレストの関連で何度も休んだり早退したりしたことである。

 帰宅は早かったので、フォレストの準備作業を行う。準備をしていると、家庭菜園が凄いことになっている。追肥したら、ナスが鈴なり、ピーマンも幾つか実を付けている。トマトにいたっては、ジャングル状態で、赤くなり過ぎた実を何個も食べずに落としてしまった。

 来年からは、プランターに苗2本で充分だということが分かった。

 雨が降りそうで降らない。いやになるまで、板を切る。

 まあ、30分が限界のようだ。

 朝が早く、肉体労働をしているので、日々熟睡である。21時以降は起きてられない。まあ、いい傾向ではある。

■「神様の友達の友達の友達はぼく」(最果タヒ著、筑摩書房、2021年)を読む。(その2)

「社会って、お金の別名のようなものだと思うんだけど。」

「人とは簡単に死んでしまうものなのだ~」

「誰かが忘れないあいだは、その人は死なない、というの、正直嘘だと思うのだけど~」

「死んだことのない私たちには、死をただしく取り扱うことなどできない。」

「人に囲まれることが孤独であることより、正しかったり豊かだったり幸せだったりするとは思わないし~」

「私は今日、風になった。」

「書くという行為は私には娯楽のスーパーな形状でしかないのかもしれない。」

「どうせなら人生、最高のものとだけ出会いたい、時間に限りがあるのだから」

「言葉は生活と人生と歴史が積み上げるものなので、技能ではないのです。」

「他人と価値観が異なっているのは怖い。」

「被災した人の中にしか震災はない~」

「正直、私の生活など本当に平凡で、おもしろいわけもないし~」

「私は死んでも、私が書いたものは、残り続けるから。」

「物語の緻密さとそれを伝える高度な構成に圧倒されるとき、“神を感じる”~」

「~他人とともにいることがいちばんの自然だとされることに違和感がある。」

「私は非常に喫茶店が好きで、でもコーヒーは好きじゃなく~」