門松打合せ

■門松打合せ

 今週は忙しい週になりそうだ。予定の無い日が1日しかない。少し考えないととんでもない老後に陥ってしまう。

 まず、今日は午後からフォレスト関係の打合せが組まれている。

 朝は、いつもの通りに済ます。グミジャムは、マフィンにサンドすることにした。

 朝方は雨が降っていたが、これから晴れるようなので、セカンドオフィスまで歩く。途中公園を通って、モミジバフウの実を拾う。

 雨後の陽射しで太陽と反対側に虹が出ている。何人かがスマホを向けていた。

 セカンドオフィスで昼時まで過ごす。

 帰路は公園を通るルートにした。

 これは、トウネズミモチである。モチは、葉での区別は難しいが、実を付けておれば直ぐに分かる。ちなみに、近くの大きな公園ではクロガネモチも赤い実を付けている。

 これは、ムラサキシキブコムラサキであろうが、感じとしてコムラサキであろう。

 帰宅すると家庭菜園にトマトが色付いている。この3個が終わったら解体する予定である。そうして、来シーズンへの準備もする。思いの他、背が高くなるので棚のような架台が必要のようだ。これは、竹で作る予定である。

 昼食を作る。今日はラーメンにした。栗と銀杏の炊き込みご飯も付けたので、麺は少し少なめにした。甘酒は温めて最後に呑んだが、幸せな味である。

 昼食後、打合せに向かう。門松の打合せはどちらが準備するかを綿密にしないと、無駄な労力を使わなければならなくなる。打合せは順調に済んだ。しかし、その後が大変である。

 その足でセカンドオフィスへ向かう。電源とWi-Fiが使える場所をセカンドオフィスと考えている。ここで、パソコンを開いて、議事録やら出前講座の準備などを行う。

 気が付いたら、もう夕方である。急ぎ帰ってからもやることがある。かぶら寿司の下漬けである。親戚から届いたので、これを全部処理する。

 これから、魚を準備し、甘酒も作り3日後で本漬けになる。そして、その日が、今漬けているかぶら寿司を食べる日になる。

■「70歳のたしなみ」(坂東眞理子著、小学館、2019年)を読む。(その1)

「かつては60歳が還暦として人生の節目とされたが、今は70歳が人生の節目であり、次のステージへの出発点になるのではないか。」

「高齢者は日々を上機嫌で過ごすことが周囲に対するマナーであり礼儀でありたしなみである。」

「新聞の人生相談へ寄せられる悩みは社会を反映している。」

「能力も時間も意欲もある人を75歳まで働かせろ!」

「ノックしないドアは開かない」

「~70代が働くのは当たり前である。」

「高齢者が社会を支えるモデル社会」

「昔の翁や長老は、当時は他人のできない“長生きする”という難事業を行い~」

「~歳をとったから自分は“終わった人だ”“無用な人だ”と卑下し、過小評価する必要はない。」

「~まだまだ自分は不完全であり未熟であり未完成であると自覚しよう。」

「~“求めよ、さらば与えられん”、たしなみのある高齢者を目指すことが、充実した高齢者への第一歩である。」

「高齢者の将来不安の3Kは健康・経済・孤独といわれるが~」

「怖いのは自分の病気と認知症だけという無敵のゴールデンエイジの人々~」

「まずは自分の健康、そして自分の楽しみだけを求める。それが“自分らしく”生きる幸せな高齢期だとカンチガイする。」

「お金のためには働かない。」

「人間が一番幸せを覚えるのは~自分のしたことを感謝されることである~」

「何歳だろうと今日が人生最後の日と思って生きよ」