限りなく

■限りなく

 今日はいい天気と報じている。そんな日に限って用事が入っている。まあ、久しぶりの予定である。今日から確定申告の受付なので朝一に提出することにしていた。

 もちろん歩きである。青空もあり、春めいたかなと考えていたが、まだである。風が冷たい。やはり、南風が吹かないと春の陽気にはならないなあ。

 作成した書類を備え付けのクリヤーファイルに挟んで投函する。今年は、夏の仕事の関係で還付がいつもの10分の1程度にしかならなかった。

 次いで、セカンドオフィス向かう。10時前には入りたかったが、やはり歳のためか歩きの速度が遅くなっているようで、10時10分ぐらいであった。いつもの店よりも高いが、少し疲れたのでちょうどいい場所でよかった。

 店を出て帰路に着いている途中、名刺入れが落ちていた。財布なら、交番へ届けようと思ったが、これは直ぐに取りに来るケースだと考えてそのままにしておいた。ここは、通行量がまああるので、大事にはならないだろう。

 家に入る前に、ゴミ出しの確認であった。はやり、ダメであった。ルール違反と貼ってあるが、ルールが多すぎて混乱しているのである。引き取って来た。

 帰宅後、疲れを覚えたので少し休む。最近あまり見なくなった歩数を確認すると、1万3千歩ぐらいである。午前中でこのペースはダメであろう。自分は歩いてもほとんど変化がない体質ということが、先ごろ実証した。自分の体を使って、一日に2万歩を半年ほど続けたが、ほとんど変化なしである。自分の場合、徒歩は時間の無駄にしかならないことが分かり、積極的に車やら公共交通機関を使用している。

 さて、昼食である。今日も決まっていたので、楽である。トマトニンニクスパゲッティである。半中華丼も付けた。

 まず、スパゲッティを食べる。「おお~!」と感動した。店のとは少し違うが、らしくなっている。さしずめ「限りなく 店の味に近い レッド」ということができる。賄いならばこれで充分である。

 しかし、まかないも材料費が高いと、特別メニューになってしまう。特別メニューは、いまのところ、イカタラコスパゲッティだけである。これの材料費を計算しよう。

 スパゲッティは、500gで100円ほどなので、一食分は20円になる。

 トマトは缶詰めは400g80円ほどで、200g使ったので、40円になる。

 ニンニクは、5欠けなので、3個90円とすると、多めに見て15円ほどか。

 タマネギは幾らかね。親戚からもらっているが、60円として、半分で30円ということか。

 そうすると、105円になる。少しオーバーであるが、許容範囲であろう。

 味付けが塩だけというのもいいね。もちろん取り過ぎはダメなので、調整している。

 実家の後片付けをする前に、温泉へ向かう。最近、疲れがあるようで、すっきりしたいということである。ここは440円ということで気に入っている。

 温泉からは、帰宅しセカンドオフィスには寄らなかった。朝高いコーヒーを飲んだので、第二部は無しにした。

 まだ明るいので、実家の後片付けをする。しかし、力仕事なので疲れるね。まあ、定めと言うことか。

■「見えないものを知覚する」(阿部雅世著、平凡社、2022年)を読む。(その1)

「立ち止まる時間が、かくも濃厚な時間だと知らずに、半世紀以上もせかせかと走りながら生きていたとは、なんという愚かしいことであったか。」

「“ひとりじかん”を楽しめる人というのは、人間に対する興味が比較的希薄で~自分のまわりにあるいろんなものが、人間と同じかそれ以上の存在であって、それらと対話し、新しい発見をし、刺激を受けることさえできれば、なんだかもう満たされてしまう。」

SNS~現代の孤独を深刻化させる要因として、他者からの承認欲求に対する、中毒性の高い無自覚な依存症に言及している。」

「~“人間以外のなにかに対する興味の喪失”は、現代の孤独を深める大きな要因のひとつではないかと~」

「~大雨が打ちつけるという環境の下で、“ひとりのじかん”を過ごすための必需品が、その小さな詩集であるという。」

「紙の本というのは“目には見えない人たち”が、形を変えてそこにいる存在である。」

「仕事やレッスンや刺激でいっぱいの人生を送ることが、充実した人生の理想のように語られ、その理想に向けて追い立てられる社会の中で、多くの人が自分を見失い、他者も世界も理解できなくなり、生きる力を失いつつあるとしたら~」

「しかし、希望というのは、トンネルの先にではなく、この問題だらけでどうしようもない、暗く長いトンネルの中にあるものだった。」