■南風
暖かい一日であった。外を歩いていると強い南風に目を細めなければならない。春何番だろうか。二番かな?
今日はゴミ出しの日である。実家の解体に着手してからゴミ出しの日が重要になった。特に不燃物である。今日は可燃物であったが、それでも3往復になった。どれだけでも出せるが、8時ギリギリに出して、他の方の出す量を確認して出すようにしている。今日は、ダンボールなどたくさん出ていたので、少なくした。
図書館へ行かなければならず開館の9時30分を目指して歩く。いい気持である。
♪♪青く澄んだ あの空のように 君と歩きたい~と、ZARDの歌が脳裏をかすめる。
10時過ぎに図書館を出てそのまま帰宅するつもりであったが、セカンドオフィスを覗くといつもの常連さんが2名いた。目が合って手招きされたので入店する。
いろいろな話で盛り上がったね。
つい、昼近くまで過ごしてしまった。ここから帰路に着く。
今日は蕎麦の日である。歩きながらメニューを考える。食材が無い場合は、スーパーに寄ることになる。確か、サバの干物が出来ていると思ったので、サバ蕎麦にしようと決めた。まあ、聞いたことは無いが、サバはサバ節というのもあり、出汁に出来るくらいなので、おそらく干物を焼けば旨いに違いないと考える。
まずは、状態の確認からである。
いい色である。匂いもいいし、腐敗はしていないようだ。
蕎麦に乗せる場合は、がぶりつきたいので、小骨を丁寧に取る。指で触って確認しながらである。
オリーブオイルでソテーする。揚げ餃子も付けた。これは、本来は水餃子であるが、いつもの銘柄が無かったので代わりの銘柄である。前の感触を覚えているので、水餃子にすると残念な気持ちが起こるので、揚げた。
家人が昨晩作った、チャーシューも付ける。本来ラーメンに乗せればいいのだろうが、早目に食べたかったのでいっしょに添えた。
サバは、とんでもなく旨い。今までニシンだけにしていたが、これからは、アジ、サバとバリエーションが増えるので嬉しいね。DHAなども摂取できる。魚が安い時だけ購入し、干物にすることにしている。今日も見に行く。
昼食後は、実家の後片付けを行う。暖かいのでストーブはいらない。もう仕舞ってもいいかもしれない。
少し休んでから、第二部である。今日は夕方、弟と打ち合わせが控えている。
■「100歳まで生きて どうするんですか?」(末井 昭著、中央公論社、2022年)を読む。(その2)
「一発逆転したいのは負けているからでしょ」
「死の始まりは誰にでも来ることです。」
「~“死”は治療によって先延ばしされ、その分苦痛を伴うようになりました。」
「“原罪”とは神を裏切ることですが、それはすなわち、人が神になることでもあるのです。」
「~自分が変わらなければ日常は何も変わりません。」
「病室に普通にあるものを使えば、急変とか病気の自然経過に見せかけて患者を死なせることができてしまう。」
「日本は“生きることが保証されている社会”だと漠然と思っていたのに、本当は何も保証されていないことが、コロナ禍になって露わになった~」
「~自分は表現することが許されているという傲慢な考えを持つようになり~」
「“自宅で出来て高収入”への道はなかなか厳しいものです。」
「真実は世の常識と真逆のところにあると言った方がいいかもしれません」
「不老不死~10年ごとに医療機関に行き、修復治療を受け、疾患を治してもらうだけでなく、劣化した組織を再生し、手や目や脳をアップグレードしてもらうことができるようになるというものです。」
「~一番手間がなくて簡単なのは、老化を病気と位置づけることだ。」
「~不死を達成した人は“史上最も不安な人々となる”と書いています。」
「しかし、いつか自分がこの世からいなくなってしまうと思うから、人生が充実することがあると思います。」
「~老人にそんなに長生きしてもらっては困るというような風潮があると思います。」
「“良い人生”とは、優しい家族と素晴らしい友人がいて、高度のスキルと知識を持ち、心身とも健康に恵まれ、お金にも不自由しない生活を送ることだそうです。」
「~これから社会に出る人に対しての助言は、“テクノロジーの進歩によって消滅しない職につきなさい”ということです。」
「競争社会の中で生き残るためには、日々新しい知識とスキルを身に付けていかなければならないのです。」
「~繁栄の病“肥満”にならないように、食べ過ぎに気をつけるようになりました。」